人生100年時代と「全力習慣」

人生に“番狂わせ”はつきものであるが、世界、日本、東京と、広い視野で物事を眺めた時、今年(2020年)ほど番狂わせな年というのは、これまでの人生においてなかったように思う。

年末にニュースになる今年の流行語大賞にはきっと、「新しい日常」「コロナ禍」「ニューノーマル」など、コロナ騒動を筆頭にした言葉が候補に並ぶであろう。本来であれば夏に行われるはずだった、東京五輪のメダリスト達の名言が並んでいたのにと思うと、あぁ、とため息が漏れる。

コロナ禍、緊急事態宣言が出されていたさなかの5月1日、私は50歳になった。

家にいてたっぷりある時間……。

私は人生を振り返りながら、“番狂わせ”な出来事に思いを巡らせる……。

その中には勿論、熊本地震もあった。

夜になって熊本に住む高齢の両親から「誕生日おめでとう。東京はどぎゃんかい?50たいね~」と電話が入った。

「ありがと。そそ、50だよ。コロナ?今んとこ大丈夫。熊本も気をつけなんいかんよ。持病もあるけんね」などと言いながら、先に書いた“番狂わせ”な出来事に私が触れると、「まだ50だけん、これからまだまだ色々あったい。まぁ、全力で精一杯がんばれ」と父。 また、「地震よりコロナの方がましたい。電気も水も心配なかけん」と、その声はとても明るい。

電話を切って、ふと思った。父だけでなく私の身近にいる人生の先輩は皆、全力で生きてきた、いや、今も全力で生きている人ばかりである、と。コロナ騒動のことを「戦争よりましですよ」と話す95歳を過ぎた現役の鮨職人までいる。

次の日から私はまるでおまじないのように、全ての行動の前に「全力」という言葉を付けてみることにした。「全力でごはんを食べる」「全力で部屋の掃除をする」「全力で昼寝をする」という具合に。すると、そんなメリハリのない時間を過ごしている時期にあって、不思議と気持ちがスッキリと晴れた。

そうして必ず眠る前に自分に問いかけてみる、「今日も全力で生きたか?」と。今のところ、毎日合格点をあげてもいい。

人生100年時代が到来したと言われている日本において、この先どんな番狂わせが起きようとも、この「全力習慣」が強い味方になってくれる気がしてならない。

そして今、全力で帰省する日を楽しみにしている私がいる。故郷があることの喜びを全力で噛み締めながら。

熊本 阿蘇 米塚

※この文章は、熊本県立玉名高校同窓会東京支部「在京玉高会」会報に掲載されたものです。