スーパーの入り口に並んでいる1束298円のカラフルな花束をみると、いつも村上隆のお花を思い出します。茎には無駄な葉がたくさん付いていて、彩も適当な花束ですが、生けようによっては普通に「美しい」お花で、日用品を取り扱うスーパーが入り口に置くというところに、何かしらのメッセージがあるように思います。
以前、現代アートはよく分からん!という内容の記事を書いたことがあります。現代アートは斬新さや奇抜さが先行して、純粋に美しいという気持ちが初めに湧かないから、芸術として見にくいと思ったことが、分からない原因でした。村上隆の作品もそう。あんなに色彩感覚がおかしくなるぐらいお花だらけ、これが世界的有名で超高額な希少性の高い作品です!と言われても、ははぁ〜そうですかぁ、としか言いようがありません。しかし、村上隆の作品の背景にはスーパーフラットという古今東西さまざまな物事をヒエラルキーなしにみる、という意味合いも込められているそう。これを知ってから見ると、だからアニメ的なアプローチが多いんだぁとか、ルイヴィトンとコラボしたのはそういうことか、とか腑におちる点があります。
スーパーの花束も花が生きるように葉を落とし、花瓶の高さに茎を切って、ピンクのお花は食卓に、青いお花は枕元に置けば、とっても美しく生活を彩ってくれます。もしかしたら村上隆のお花もスーパーのお花と似ているのではないでしょうか。要はストレートに伝わってくる美ではないと思うのです。村上隆のお花はインパクトが大きすぎて、良いんだか悪いんだかわかりづらいアートですが、伝えたいメッセージを知ると美しくみえてきます。
話は戻り、なぜスーパーの入り口で花が売られているかですが、生活に美を忘れてはいけませんよー、というメッセージがあるとしたら、勘ぐり過ぎでしょうか。花屋で売られていれば新鮮でイキイキとした美しいお花にみえるものも、スーパーの入り口では、トイレットペーパーを買う、ついでのお花。でも生けようによっては美しいお花です。村上隆ではありませんが、物事をスーパーフラットに見て、美ついて考えなさいよーということだったら……?
ちまたでは都市伝説が流行っているらしいですね。99%信ぴょう性のない、筆者の頭の中で繰り広げられる妄想ですが、スーパーの都市伝説として、「美のはなし」をお納め頂ければ幸いです。
文 / RYO KANEKO