日本人ほどブランド好きな人種はいないでしょう。ルイヴィトンのモノグラムからシャネルのCCマーク。誰もが一発でどこのブランドが当てることができます。バブル時代のインポートブランドブームでは、とにかくひと目で、どこのブランドの服か分かるようなデザインのものが好まれ、自分というアイデンティティ、社会的地位や、ステータスを誇示するのに使われてきました。
その後、バブル崩壊からリーマンショックと立て続きに不況が続き、ブランドの「使われ方」も変わってきたように思います。ノームコアと呼ばれるシンプルが良いといわれる現象からも見られるように、ブランドのロゴが表面に押し出されている服より、シンプルだけど「素材」が一級品、「カット」がキレイなど、服そのものの良さが重要視されてきます。
そして2018年の今。また新たな流れがきました。ロゴカルチャーです。
シュプリームとルイヴィトンによるコラボレーションが記憶に新しいですが、いわゆる全面的にブランドのロゴやメッセージを洋服に押し出した(プリントや刺繍など)ものが人気となっています。特にストリートを代表とするアイテム、パーカーやスウェット、キャップなどをハイブランドの縫製技術をもって本気で作ったものが多い印象です。ブランドでいうと、バレンシアガ、ヴェトモン、グッチ、ルイヴィトンなどでしょうか。その他にも高級ストリートブランドと呼ばれるブランドも出てきました。
わたくし最近まで、この「ロゴカルチャー」は全く理解できませんでした。胸にシュプリームと書いてあるだけで、なんで10万円もするの? スニーカーにバレンシアガってプリントされるだけで、なんで10万円以上もするの? しかもオークションでプレミアム価格になるほど人気なのか。本当に否定的な目で、着ている人、買っている人たちを見ていました。(申し訳ありません。)
でも気付いたんです。これって、バブルからリーマンショック、ノームコアの流れを踏むと自然の流れだって。流行は20-30年周期で回っているとよく言われますが、それが本当だとしたら、丁度バブル期の流行が現代に反映されていることになります。バブル期のブランドの使われ方を「アイデンティティ、社会的地位、ステータスの誇示」とするならば、現代も同じはず。ただし、時代によって表現方法やデザインの変化はもちろんあるので、ジュリアナ東京のようなド派手なセンスや肩パットはそぐわないとして、以下のような流れだと仮定しました。
不況により、バブル時代のお金を持っていますアピールのファッションはどうかなと疑問に思う
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ノームコアというブランドのロゴを消した本質的な服の良さが見直される。
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シンプルな服が飽きられる。せっかく高いお金を払ってるんだから、ちょっとは自己表現したい。
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ロゴやメッセージを通してシンプルに自己表現。(インスタ映え!)
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しかも高級な洋服をとおして。
ロゴはステータス、社会的地位の誇示、メッセージはアイデンティティの表現というわけです。バブル期ならド派手に表現していても時代が許しましたが、一度経済不況に陥っているので、現代はシンプルにワンポイント程度で。でもこれには、プリント君で簡単に自分でも作れそうな服を和えて大枚叩いて買ってるんですよ、という裏メッセージも含まれています。なんだがバブルの嫌らしさまで引き継いでいるようですね(笑)
もうひとつの視点を加えると、皆と同じになりたい、要は制服のようなチームロゴの役割も持っているのではないか、ということ。私はチーム「シュプリーム」です。ストリートカルチャーを愛し、スニーカーはヴァンズ派、音楽はヒップホップ、趣味はスケボーです。僕はチーム「バレンシアガ」です。モードベースだけどハズしでストリートっぽいもの着ます、キレイめな服が好き、オーガニック思考、音楽はアンビエント聞きます。みたいな、ブランドを利用して、自分の属する(または自分が属したい)服以外のライフスタイルまで表現しているのではないでしょうか。シュプリームのロゴTを着ている人をみたら、この人なら友達になれるかも、趣味が似ているのかも、と他人をはかるメジャーの役割になりますし、逆に私はチームシュプリームだから、同じ系統の人によってきてほしい、というアピールにもなります。
皆と同じになりたい=同じタイプの人とだけ接していきたい、という意味の現れでもあります。それを表現するツールにブランドが一役買っているわけですね。これって、とっても現代人っぽいですよね。インスタを始めとするSNS内でも、自分の興味のある人(だけ)をフォローして楽しんでるわけじゃないですか。リアル社会でも同じ現象が起っているだけなんです。
最後に。何事も否定から入るのは悪いことだと痛感しまして、私のカフェでもオリジナルパーカーを作ってみました。誰かチーム「#café kanéko(キャフェ・カネコ)」に入りませんか?
文 / Ryo Kaneko