【スペシャルインタビュー】「すきやばし次郎」小野二郎&禎一(よしかず)親子が語った商売の極意

2020年10月。今年も残すところ3カ月を切った。昨年の今頃のことを思う……。

私は、初めての著書「「すきやばし次郎」小野禎一 父と私の60年」がちょうど発売になり、ほっと一安心するとともに、一人でも多くの人たちへこの書籍とともに小野親子の言葉を届けたいと燃え、できる限り動いていた。勿論、その熱は今も冷めていない。

しかし新型コロナの発生により、突然、本当に突然、動けない日常がやってきた。

現在、私の住む東京、原宿、表参道界隈は賑わいを取り戻しつつあるが、シャッターを下ろした空き物件も目立つようになってしまった。

そして、そこを歩く人たちは皆マスクを着けている。今ではそれがあたり前の風景になったが、冷静に考えると、どこか映画のシーンのような異様な風景だな、とも思う。

1年前の今頃には想像もしていなかった世界。ニューノーマルな時代を迎えた今、小野親子は何を思い、どんな日常を過ごしているのか?いたのか?改めて話を伺った。

【本の出版から1年が経ちますが…】

「そうか、もう1年だね。お客さんに面白かったよ、と言われることはある、やんちゃだったんですね、とかね(笑)。だけど何か仕事に対する意識が変わったとか、そういうのはねぇなぁ……。変わらず、より美味しくしようってことだけだよ。」と、いつも正直で真っすぐな禎一さんらしい言葉が戻ってきた。

「ただ、自分の人生を幼い時から振り返って、よくここまで来たな、と思ったし、改めて親に感謝する時間にもなった。親の名を汚す仕事はできねぇなと初心にかえるいい時間だった」とも話す禎一さん。

禎一さんの隣に座り、そんな話に耳を傾けていた二郎さんは、きっと照れ隠しもあるのだろう、「私は、自分たちのこと、本の内容よりも、孝ちゃんの文章がうまいなと、そう思いながら読んでいましたよ。」と、優しく微笑みながら、私に筆者冥利に尽きる言葉をくれた。

この二郎さんの言葉のお陰で、私の仕事は文章を書くこと、書き続けるのだ、というやる気スイッチが改めて入ったというのはここだけの話にしておこう。

【コロナで世界が、日本が、そして東京、銀座の街が一変した】

さて、言うまでもなく、コロナによって大打撃を受けた飲食業界。勿論それは、「すきやばし次郎」であっても例外ではなかった。

「すきやばし次郎」は以前より営業時間が17:30~20:00頃なので、自粛期間中も以前から予約の入っていたお客さんのみの対応を続けていたが、それでもやはり、7割の人たちがキャンセルをしたという。その中には外国人も多くいた。

どんな気持ちでしたか?不安はなかったか?と私が尋ねると、 「仕方ねぇよ、もう世界中がそうなんだから。自分たちではどうすることもできないことだもんね。とにかく、予約のままみえるお客さんのために、仕入れからきちんといつも通りの仕事をしてた。5月の連休明けまでは、本当、銀座がゴーストタウンになって、お正月の夜中みたいな感じだったよ。」と禎一さん。

すると二郎さんも「あんな銀座は初めてでした。本当に人がいないんですから。これはいつまで続くんだろう?だけど、これまでもいろいろな経験をしてきたので、永久に続くことはないだろうと思いながら、キャンセルも多かったので、暇だなぁと思いながら過ごしていました。」と話しをしていた。

また、心配なのは、未だに豊洲市場がとても暇なのだそうで、漁師さんたちも魚を無駄にできないので入ってくる魚の量も少なく、仕入れ値は逆に上がっているということだった。

賑わいがもどりつつある銀座。数寄屋橋交差点にて。
(2020年10月撮影)

【どんな状況でも変わらない信念】

「すきやばし次郎」とその親子の職人気質を知れば知るほど、そして、話を聞けば聞くほど、この人たちはずっと変わらない気持ちでコツコツと仕事をしてきたのだ、ということがよくわかる。日本初、東京ミシュランが発表されていきなり3ツ星をとったり、またドキュメンタリー映画になったりと、傍から見ると度々驚かされるような偉業を成し遂げ、夢のような成功を手にしてきたお店であるには違いないのだが、そうなろうとしてなったというのではなく、「より美味しく」を追求していたらそうなったのだ。

【電話や来店での予約も可能に】

禎一さんはこんなことを言っていた。

「ミシュランでいきなり3ツ星をとった後から世界中から外国人のお客さんがみえるようになって、勿論、このコロナで全部キャンセルになったんだけど、それは仕方がないこと。店としてそういう歴史があって、また新しい歴史がつくられていく。最近はホームページをみて電話での予約も入るようになって、店頭まで予約をとりに来てくれるお客さんもいるんだよ。有難いね。席数が8席なので、どうしても予約には限界があるんだけど、そうだね、新しいお客さんも前よりは増えてきた感じだよね……」と。

この話を聞いて私は思わず、「今が次郎でお鮨を食べられるチャンスじゃないですか!これまでずっと予約がとれなかった人にとっては、朗報ですね!」と言ってしまった。

こうしてまた新しい客を迎え、「すきやばし次郎」の新しい歴史が紡がれていくのだ。

【二郎さんが語った商売の極意】

二郎さんは息子たちに、そして弟子たちにもよく話す商売についての極意がある。たまたま取材にいったその日も改めて皆にそんなことを話したばかりだったそうで、二郎さんはそのことを私にも語ってくれた。

「私は、店を広げるってことは考えたことがありません。そうじゃなくて、いいものを出すことだけ、今やっているこの店を、よくする、よくする、よくすると(※語気を強めて3回繰り返す二郎さん)それだけを思ってやってきました。広げることだけが商売ではありません。調子がいいと銀行はお金をいくらでも貸すと言ってくれますので、広げるのは簡単かもしれません。だけど、悪くなった時、つぼめるのは大変です。私が銀行にお金を借りたのは、お店を開く時、最初の200万だけです。保証人には当時の塚本ビル(「すきやばし次郎」の入ったビル)の社長がなってくれました。その後は全部貯金をして、借金をすることなく商売を続けてきました。」

この話には続きがあり、二郎さんは人生の先の先までを考え、修行時代、皆こぞって車の免許をとりにいく時にも、車の免許をとると、車を運転したくなる、そうすると事故を起こすかもしれない。事故を起こすと店ができなくなる、と考え、一生、車の免許をとらないと決めたことや、仕事柄、立ち仕事で足腰が丈夫であることは絶対に必要だし、日中どうしても太陽にあたることが少ないのでそれは身体のためによくないと思い、休みの日は、山登りに行くことを趣味にした、という話など、二郎さんの人生というのは、始終、鮨職人としてベストな自分であることにその時間を費やしてきた、ということがわかる話ばかりだった。

もうすぐ95歳になろうとしている二郎さんの指は、ピアノを弾く指のように、カタカタと素早く動く。正直、そのスピードは、パソコンのキーボードを打つ私の指よりも早いくらいだ。そのことに私がふれると、休憩時間に指の運動を欠かさないと教えてくれた。

話を聞けば聞くほど、そのプロ意識にはもう、あっぱれという言葉しか出ない。

【禎一さんの覚悟】

そして、そんなあっぱれな父親を持つ息子、禎一さんもまた、清々しい気質をそのままに日々仕事に励む。

「今うちで仕事をしているのは9人。経営者は従業員の生活を守るという責任もある。それを守るのが俺の仕事でもある。親父さんには107歳まで働いて欲しいって言ってるよ。7つから働いているから100年。前人未踏の記録でしょ(笑)」と話す禎一さんの表情はとても優しい。

そして二郎さんと禎一さんは二人、まるで話を合わせるように、同じことを言った。

「人間は、必ず1日3回食事をする。他のことは我慢できても、食べることは我慢できない。だからそういう商売をやれば間違いない。但し、志と努力は必要です」と。

この言葉は、若い時から二郎さんが禎一さんによく話をして聞かせてきたことなのだそうだが、実は、7歳の時に奉公先の料理屋の大将が二郎さんに話して聞かせてくれたことなのだそうだ。

二郎さん、禎一さんは、共に、自分がもらった大切な言葉は決して忘れない、そういう人たちだ。

またこうして、師匠から弟子へ技術だけでなく、その志をも伝承されていくのが職人の世界なのだ。

2020年10月27日に95歳になる現役鮨職人、二郎さんと、その一番近くで共につけ場に立ちお鮨を握る禎一さん。

私が最後に、「今一番の楽しみは何ですか?」と尋ねると、「仕事をすることです。この歳までこうして仕事ができることは幸せです。」と二郎さんは言い、禎一さんは微笑みながら、「斯く(かく)ありたいですね。」と言った。

「マスクをしてお鮨を握る時代が来るなんてね…」と言いながら、マスク姿で記念写真をパシャリ。

■すきやばし次郎■

【ホームページ】https://www.sushi-jiro.jp/

【ご予約電話番号】03-3535-3600

「すきやばし次郎」小野禎一 父と私の60年