2020年1月11日(土)、豊洲シビックセンターホールにて、横山博によるピアノ・リサイタル「ジョン・ケージ《4分33秒》& モートン・フェルドマン《バニータ・マーカスのために》」を開催。
ある意味伝説にもなっている無音の曲、ジョン・ケージの「4分33秒」を体感できる、またとない機会!さらに、2曲目はモートン・フェルドマンの「バニータ・マーカスのために」と、かなり攻めた内容となっています。
2020/01/11 (土)
19:30 – 21:00(19:00 open)
会場
豊洲シビックセンター
チケット
一般前売り ¥2,000
学生前売り ¥1,000
(当日¥500増)
■チケット購入
https://hip-toyosu.peatix.com
お問合わせ
028-673-4938(一般社団法人HIP / 営業時間10:00-18:00)
演奏曲目
ジョン・ケージ《4分33秒》
モートン・フェルドマン《バニータ・マーカスのために》(約75分)
アメリカ実験主義の新たな魅力を提示する
横山博が織りなす、2つの静謐な時空間
ケージの「沈黙の作品」は、1948年、当時勃興していたBGM配信会社に無音の楽曲を放送させる構想から始まった。無響室で絶対的な沈黙の不可知性を悟り、偶然性の作曲の開始を経て、1952年、コンサートピースの《4’33”》へ変貌した。初演したピアニストのチュードアが回顧するには、そこには偶発的なアンビエンスノイズだけでなく、瞑想的なカタルシスがあったと言う。
一方、抽象的な視覚芸術の影響が色濃いフェルドマンにとって、沈黙とは「対位法の代替物」として曲中に配置されるものだった。後期になると、不規則的でシンメトリックなアナトリア絨毯の模様が反映され、三つの異なる拍子に基づくモジュールを巧みに構成した傑作《For Bunita Marcus》(1985年)が生まれた。約70分にわたってダンパーペダルは踏み続けられ、それは、まるで把捉し切れない広大な絵画のように、聴衆の時間感覚を眩惑する。
アメリカ実験主義を代表する2作品の魅力を 、チェンバロやパイプオルガンに至るまでの鍵盤楽器の歴史と機構を内面化した横山博が、精確なタッチで開示する。
-大西 穣
フェルドマンによる作品紹介
私の音楽の中で「バニータ・マーカスのために」は、例外的な作品ですので、どのようにこの曲を書いたのかをお話したいと思います。音符ではなく、音符自身がこの曲を書いたわけではありません。魚釣りや金儲けの才能を持つ人がいるように、私は、音符を書く才能を持っています。音符というものは問題ではありません。ただ、耳から引っ張り出せば良いだけです。
ただ私にとって、リズムというものが存在しません。そこで、リズムという言葉の代わりに「リズミカルにすること”rhythmicize”」という言葉を使いたいと思います。私はメーター(拍子etc.)というものに興味を持ち始めていました。人が「メーター」という用語を使う場合、「どのように小節線を乗り越えるのか?」という問題がそこには含まれています。私はまず4/4拍子を書き込んで、少し多めにスペースを空けておきました。そして小節線を引いた後、その小節線を超えて、音符を書き込んでいきました。「メーターのブラックホール」とでも言いましょう。小節線をまたいで引きつけ合う音楽は他にも沢山ありますし、皆、小節線を気にし過ぎなのです。
「バニータ・マーカスのために」は、主に3/8拍子、5/16拍子、2/2拍子の小節で構成されています。曲の最後のほうでは2/2拍子が、音楽的に重要な役割を持っています。3/8拍子と5/16拍子に左右はさまれた2/2拍子の小節は音を立てません。メーターというものを、リズムではなく、ひとつの作図法として用いたのです。その結果、メーターと時間の関係は、作品の持続時間として現れました。
最後に注目したのが「展開部」です。2/2拍子、3/4拍子、5/8拍子…というふうに、「複合メーター」を使いました。それ相応に、不安定な部分を作るためにメーターを使用したのです。しかし、それは展開部と呼ぶべきものではなく、メーターを展開した、としか表現しようがありません。「グリッドの中で、どのくらい変化を持たせることが可能か?」と作曲家なら皆考えるものですが、私は、加速する、または、減速する、という手段を選びました。しかし、そこまで確定的なプランではありません。以上のような構成要素を受け入れてもらえると、どのような作品なのか分かっていただけるかと思います。https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/for-bunita-marcus-2510
(訳:横山 博)