自分が「変」だと自覚しているなら、他の変なものを認めなければならない。

私は観光というものに全くもって興味がありません。人よりも海外へ行くことが多いので、よく「エッフェル塔って登れるんでしょ?」とか「ベルリンの壁って今どうなってるの?」など聞かれますが、いつも返答に困ります。観光するより、カフェでコーヒーを飲んだり、適当に散歩したり、現地の人に混じってスーパーで買い物してみたりするほうが好きなので、それ以外のことは殆ど分からないからです。私の旅の目的は、その国の人になりきって、こんな風に生活してるんだぁと想像(妄想?)することであり、観光スポットを周ることではないのです。

前置きが長くなりましたが、わたくし「変」なんです。ここでの「変」というのは少数派という意味で使いたいのですが、他にもワガママな性格や昼夜逆転のライフスタイルなども含めると大分「変」な人、もしくは生き方をしている気がします。
長い前置きにもあった旅行中観光スポットに行く人は何%いるでしょう。少なからず半分以上の人はどこかしらの観光スポットには行きますよね。だから観光スポットに行かない人は少数派。観光スポットに行く人からみると、私を含め行かない人は「変」な人になるのです。

しかし「変」というのは、ときに珍しい存在として希少価値があります。特別ゆえに人から配慮されることもあります。行き辛い反面、少数派にもメリットはあるのです。

photo by franganillo

先日ベルリンに訪れた際に友人が車を出してくれたので、街をドライブしました。何も知らない私に気を利かせて、街中の有名な建造物を紹介してくれたのですが、その中に一際目立つ建物がありました。ベルリンフィルハーモニーのコンサートホールです。外観からは絶対にコンサートホールだと分からない変てこな形。壁面をよくみると、丸いボコボコしたものが沢山ついていて、藤壺の類が苦手な私からすると、なんて悪趣味極まりない!金色とも銅色とも言い難い燻んだ黄色の外観は、どう頑張っても周りの風景と同化していないし(逆にこれが狙いなのか?)、モダンなものよりも古い歴史があるものが好きな私は、どうしてもこの建物が好きになれませんでした。

友人いわく、60年代に建てられ、コンピューターがなかった時代にこんな複雑な建物を作った建築家は本当にすごいらしく、さらに内装は初めて訪れた人でも迷うことなく自然とわかりやすい動線を意識してデザインされていたり、世界トップレベルの音響を備えたりと、とにかく素晴らしい建物らしいのです。ここまで力説されても嫌いなものは嫌いなので、この「変」な建物は好きでないことを友人に伝えました。

そうすると友人は
「あなただって「変」なんだから、この「変」な建物だって認めてあげないと不公平じゃないか。」
というのです。もうこれには何も言い返せませんでした。全ての「変」なもの「変」な人ごめんなさい。今まで好き勝手否定ばかりしてごめんなさい。「変」だという特別感を味わってるのに、他者の「変」を否定するのはルール違反です。「変」であるならば「変」を認めないといけません。

このあとずっと友人の言ったことが頭から離れず、私が批評したものや記事などを思い出し、申し訳なかったなぁと後悔の念にかられました。私が変であり続けるために、私を肯定するために、今後はあらゆるものを認めていこうと思いました……

文 / RYO KANEKO