人間関係と文章を書くことは似ている。

|Ryo Kaneko

文章を書く者として、自由に自分の好きなことを書くことは幸せなことです。さらに誰かに書いた内容を読んでもらえ、もっと言えば共感してもらえたならば、これ以上にうれしいことはありません。

最近読んだ、ドイツの文学者トーマス・マンの代表作「ヴェニスに死す」にこんなことが書かれていました。

「ある重要な精神的産物が、たちどころに広い深い作用を及ぼし得るためには、あるひそかな親和が、いや、一致が、その創始者の個人的な運命と、かれと同時代の人々の一般的な運命とのあいだに、存立している必要がある。」

抽象的で難しい言い回しでかかれているので分かりにくいのですが、私の環境に例えるなら、
「自分の書いた文章を広く多くの人に理解してもらい、また感動や何かを伝えるためには、私と読者の間に何かしらの共通点が必要である」と解釈できます。

そしてマンはこう続けます。

「人々は、なぜ自分たちが一つの芸術作品に名声を与えるかを知らない。くろうとなかまから遠くへだたっているかれらは、それだけの関心を正常化するために、その作品に幾多の美点を見いだしていると思っている。しかしかれらのかっさいの本来の理由は、はかり得ぬものであり、共感である。」

こんなに頑張ったんだから読者が絶賛してくれる、のではなく、単に文章の内容に共感できることが書いてあったかどうかが重要なのです。どんなに文学的であろうとも、どんなに美しい言葉で書かれていた(書いた)としても、そこに共感することがなければ、それは作者の自慰行為であり、自分の知識をひけらかすことと変わりません。

共感することがないと不快なのです。

人間関係もそう。会いたくない人のことを思い出してみると、大抵は共感できることがなくつまらないのです。逆に頻繁に会っている人、気が落ち着く人は、お互い共感する点が多く、一緒にいて居心地がいいのではないでしょうか。

恋愛にもいえますね。彼の為に一生懸命おしゃれしていったのに、期待した反応がなかった。彼の好きな装いでなく共感してもらえなかったか、そもそもおしゃれに興味がなく、頑張るとこを間違えてしまったか、とにかく彼の共感を得る手段に問題があったのです。

考えてみると簡単なのに、いざ実践にうつすとなると難しい「共感」。自分のエゴと他者との共感の間で、どのように折り合いをつけていくか、今とても悩んでおります。

青空文庫よりトーマス・マンの作品が無料で掲載されているので、気になった方は是非読んでみてください。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001758/files/55891_56986.html

引用
『トーマス・マン作品集・20作品→1冊』(トーマス・マン)
– 位置No.920-924

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