ワールドマラソンメジャーズについて語るときに私の語ること~ボストンマラソン編~

|Takako Nezu

連日寒い日が続いておりますが、ランナーにとってはマラソンシーズン本番。週末毎に日本のどこかでマラソン大会が開催されています。私は2月に開催される京都マラソンに参加する予定です。まぁいつも通り、無理をしない程度に走ってはいるのですが、この寒い時期は走り出すまで正直億劫です。
でもそんな時、必ず思い出すのが2015年に走ったボストンマラソンこと。あの日はとにかく寒かった。スタートからゴールまでずっと雨と風で辛かった……。それに比べたら今日の寒さなんて全然平気、といった具合に。
そして、私にとってのボストンマラソンがあまりに辛かったせいか?走ってから1か月後に備忘録を書いていました。

『ワールドマラソンメジャーズについて語るときに私の語ること~ボストンマラソン編~』は、その、当時書いた備忘録をほぼそのまま「Beauty Museum」でご紹介させて頂きます。
最後まで読んで頂けると大変嬉しく思います。

【備忘録】
夢の途中のそのまた途中で


2015年、第119回ボストンマラソンを走ってから1カ月と少しが過ぎた。思えば、帰ってきてから約1カ月間、この晴れ晴れとした東京の春の空を眺める度に、「あの日、ボストンマラソンの日がもしもこんなふうに晴天だったら……」と何度思ったことか。でも、そう思った後は決まって、「いや、雨でよかったんだよ、あの冷たい雨、寒さの中のボストンマラソンだったからこそ、得たものは大きい」と結論づく。
私のボストンマラソン、42.195キロを振り返るためには、その数日前からさかのぼる必要がありそうだ。レース3日前、ボストンに到着した頃から私の左膝は明らかにジクジクと痛んだ。20年前の冬のこと、スキーで左膝の靭帯を2本切断しており、私の左膝の靭帯は2/4本しか存在しない。レース直前になって2本の靭帯が足りない分の力を発揮しなければならないとプレッシャーを感じているのか?ジクジクと痛んだ。出発前から何となく左膝の違和感が気になっていたので、(明らかな痛みに変わったのは到着してから)鞄にバンテリンを忍ばせ、機内でも、勿論、到着後のホテルでもマメに塗り込んだ。フルマラソンは今回のボストンで4回目。30キロを超えたあたりからの膝の痛みは経験済みで想定はしているが、このジクジクした感じを抱えたままスタートするのは想定外。到着翌日からの、ゼッケン受け取り、コースの下見、市内観光と、本来であれば楽しい気持ちが先行するツアーの間も、体の片隅の痛みからくる不安な気持ちが頭から離れなかった。

「海外を走る」というのは、フルマラソンを走りきるという緊張感とともに、“海外”であるがゆえの、別の緊張感があると私は思う。少なくとも私はそうだ。それが国内であれば、たとえば走った後に多少体調を崩しても、万が一怪我をしたとしても、慣れた言葉を使い、慣れた交通手段を使って、自らをコントロールすることができ、運がよければ、様々なトラブルを他人に悟られることなく、また他人に迷惑をかけることもなく、自力で帰宅することができるだろう。でも海外となるとそうはいかない。「もしも体調が悪くなったら…」「もしも怪我をしたら…」「もしも…、もしも…」基本的に楽天家の私であるが、そんな私でも旅立つ前はそんな最悪の想定で頭がいっぱいになってしまう。完走メダルをもらうことは大事な旅の目的であることに違いないが、海外のレースに参加することは、それ以上に、ツアーの同行者や添乗員さんに迷惑をかけることなく無事に旅を終え帰国することの方が私の中では重要になる。そのためには、ある意味、“無理をしないこと”も大切になる。到着し、左膝がジクジク痛む私は、本番直前まで、とにかく“無理をしないこと”を決め込んだ。添乗員さんの優しい心遣いで行われた、ゴール地点からホテルまでのルート確認をする意味もある朝のランニングもあえて2日間とも不参加、バスでコースを下見に行った際、30キロ地点からのハートブレイクヒルの試走にも参加せず、バスの中から大人しく皆さんの走りを見物した。余談だが、帰国の途に立つボストン空港の待合場所での雑談中、ツアー同行者の一人であるKさんに(今回のツアーでは、Kさんを含む、7~8名の方々と帰国前日に皆でボストンで有名なオイスターバーへ出向き祝杯をあげるほど親しくなった)『正直、あの天候の中で、根津さんは完走できないんじゃないかと思っていました。実は根性あるんですね』と言われたのだが、思えば、レース前のこういう消極的な態度がそう思われる原因だったのだろう。私自身としては、とにかく周りの人に迷惑をかけず、完走して無事に帰国したいという気持ちだけだったのだけれど……。

そんな状態で迎えたレース当日。東京にいる時からボストンの天気をチェックしていた私は、天気予報が外れて欲しいなぁ…という気持ちでいたが、ボストンに入ってからもずっと雨の予報は変わらずのまま、そして無情にも予報通りの雨。しかも、気温7度という寒さの中でのレースとなった。英語が得意でない私でも、ホテルのテレビで地元のニュースをみていると、キャスターやリポーターが悪天候のボストンマラソンとなったことを“残念でならない”という表情で伝えている。私は練習で雨の中を走ったことはあるが、それは夏のゲリラ豪雨にたまたま出くわしたくらいのことで、当然すぐに雨宿り。勿論、冷たい雨の中の走りは初体験であり(風も強く、おそらく体感は5度くらいであると予報)そんな中を5時間以上も走るとなると一体自分の体がどんな反応を起こすのか?果たしてゴールまでもつのか?想像もつかなかった。ホテルからバスで小一時間、スタート地点である州立公園、ホプキントンまで移動する時間もさらに緊張が高まっていった。そして、スタートエリアにつくと、その緊張感もピーク。これ以上ない緊張感のお蔭か?いい意味で体の感覚が鈍感になり、いつのまにか気になっていた左膝のジクジクとした痛みも消え、さっきまで刺すような冷たさを感じていた風の強さも気にならなくなっていた。

スタート時間が近づき、グループ全体がそわそわした空気に包まれる。今か今かと手元の時計を何度もチェックした。「バーン!」遠くで私たちのグループのスタートを知らせる銃声が鳴った。私の42.195キロ、ボストンマラソンがいよいよ始まったのだ。スタートラインを超えると、手元のストップウォッチをオンにした。ここまでホテルから一緒にやってきたYさんは「がんばりましょう!」と声をかけてくれると同時に、私よりもうんと早いスピードで風を切って行ってしまった。マラソンは孤独なスポーツだ。いや、仲間と一緒でも群れないことが相手の走りの邪魔にならないこともある。何よりもまず、自分のペースに専念することが必要だ。私は『いつものようにコツコツ前へ、自分のペースでゴールを目指そう。いつものように走ればきっとゴールできる』と心の中で自分に言いきかせた。
実際にスタートしてみると、雨や寒さもさほど気にならなくなっていた。(とはいえ雨がないに越したことはない。なんせ走るのにバサバサしていて邪魔になるので体が温まったら早々に脱ぎ捨てる予定であった100均で購入し持参した、膝下まである長いレインコートを結果的に35キロ地点まで脱ぐことができなかったのだから)「ここはアメリカ、ボストン。私は憧れのボストンマラソンを走っているんだ。よし、楽しもう!」と、自然に気持ちが切り替わった。

ちょうど、10キロ地点、フラミンガム駅付近。そんな私の心を察したかのように、添乗員さんの「根津さん、楽しんでー!」の声が私の耳に届いた。約束通りの場所でツアー参加者の姿をカメラに収めようと、雨の中並走してくれている。「はい!」私はカメラに向かって手を振った。正直それがその時にできる私の精一杯の対応だった。気持ちは次第にのってきたが、まだ30キロ以上もあることを思うとできるだけペースを乱さず、省エネペースで行きたいところだ。しとしとと降り続く冷たい雨。要するに私には余裕がなかった。コツコツ、コツコツ……そう心でつぶやきながら暫く走って行く……。景色を楽しむ余裕もなくとにかく前だけをみて進んで行った。

そんな調子でさらに3キロほど進んだ頃だろうか、お腹からしっかりと発声された低く響くとてもいい声で、「おー!」と声をかけてくれる男性がいる。同じツアーに参加しているDさんだ。後から知ったのだけれど、Dさんは70歳。とてもダンディでそんな御歳に見えないのだが、そもそも70歳でフルマラソンを自分が走れているか?と思うと私にはとてもそんな自信がない。私は当時45歳。きっと50歳くらいまでしかフルマラソンは走れないだろうと思い、数年前から6大マラソン(WMM)制覇を50歳までに、と目論んでいる私にとっては、“奇跡の人”といっても過言ではないのだ。それにしてもこういったマラソンツアーに参加すると、60代、70代の方々がフルマラソンを完走し、しかもそのタイムは私よりも随分早いことに驚くとともに、その生き方の、人としての素晴らしさを学ぶ。『人生は楽しいものだ』と、多くを語らずとも伝わる何かがあるから不思議だ。そんなⅮさんの「おー!」の声に連れられて、そこから10キロほどを一緒におしゃべりをしながら走ることになった。(いや、正しくは、ずっと一緒に走って行きたかったのだけれど、私は途中でDさんのペースについて行くことができなくなり、離脱してしまった、という表現の方が正しい。)レースを振り返ってみると、このDさんと並走した10キロのお蔭で、景色を楽しんだり、沿道の応援を楽しんだりと、改めて、海外旅ランの“走り方”を学んだ気がしている。「せっかくここまで来たんだもの、コースをできるだけ記憶してこの目に焼き付けて帰ろう!思いっきり楽しもう!」という気持ちになれたし、雨ならではのボストンマラソンを味わえた気がしている。

ボストンマラソンの応援といえば有名なのは、名門女子大、ウエルスリー・カレッジ(ヒラリー・クリントンの母校)の女子大生の応援だろう。大学の近くに入ると、噂通りの黄色い歓声とともに、コース右側を陣取った女子大生の沿道がかなりの距離で続く。男性ランナーたちが沿道の女子大生の「Kiss me!」の大歓声に誘われて、ほっぺにキスをする姿もたくさん目撃した。アメリカらしい、女性からみてもとても陽気でテンションの上がる光景だ。それにしても驚くのは、雨、風、そして寒さの中でも、沿道の応援が最後まで途切れないことだ。しかも、ほとんどの人たちが傘もささずに沿道に立って大きな声で応援している。おそらくあのような光景は日本ではありえないのではなかろうか。犬好きの私としては、ペットの犬たちが飼い主に連れられて冷たい雨に濡れながら大人しく沿道で人間観察をしている?のが気の毒でならなかった。こんなに雨に降られるくらいなら、犬的にはおうちで留守番の方が幸せだったかも?と思ってみたり。とにかくそんなふうに、アメリカらしさ、ボストンらしさを私なりに目と心に刻みながらゴールを目指した。

ボストンマラソンを語る上で欠かせない、30キロから35キロ付近で現れる、有名な「ハートブレイクヒル(心臓破りの丘)」について触れておこう。前述の通り、レースの前々日にこの場所をバスの中から下見していた。その時は、大きな4つのアップダウンが現われるこの丘を越えるのは至難の業のように思えた。過去にフルマラソンを3回走っているのだが、私の自慢は、レース中は一度も歩いたことがないことだ。そりゃ勿論、5時間以上もかけて走るわけなので、傍から見ると歩いているようにしかみえないと言われそうだが、そんなゆっくりのスピードであっても、少なくとも私自身の体の使い方は、歩くことと走ることに大きな違いがある。しかし、このボストンのハートブレイクヒルをバスで通った時、4つ続く大きな丘を車窓から眺めながら「今回は歩いてしまうかもしれないな」と正直思った。そして、いよいよ本番、ハートブレイクヒルに私は自分の足で踏み入ったのだ。しかし、その時の実際の私ときたら、「あれ?これがハートブレイクヒル?もう始まっているの?まだこれから?あれ、もう終わったの?」といった具合で、歩くことなく通り過ぎて行った。それもそのはず、既にそこまでで30キロを走ってきた私の足は、それがハートブレイクヒルだろがなんだろうが、重く、痛く、動きが悪い。おそらく平坦な道でもさほど変わりなく、ようやっと足が動いている状態というわけだ。“ハートブレイク”というほど心臓に負担をかけるスピードがないことは言うまでもなく、しいて言うなら、私にとっては“レッグブレイクヒル”という表現の方が正しいくらいであった。そして、この4つの丘を越えた頃には疲れもピーク。がしかしその反面、完走できる自信が少し持てていた。だって残りは、約7.195キロなのだから……。

しかし、ここからの5キロは本当に長く感じた。普段から、練習で皇居1周、5キロを走りに行くことがよくある私は、5キロ=皇居1周、という感覚でその体感を想像する。「あと、皇居1周半もすれば、ゴールか。もう大丈夫だ」と、気持ちの上では余裕ができた。しかし体はどうだ?この頃から更にますます雨脚は強まり、途中、何度か不注意で大きな水たまりに入ってしまったこともあって、雨水をしっかり含んだ両足のランニングシューズは思っていた以上に足にダメージを与えた。
そこで私は何となく気分を変えたくなった。ここまで脱ぎたい、でも雨のせいで脱げずに着続けてきた、丈の長いレインコートをとうとう脱ぎ捨てた。腕は雨水を直接受けるが不思議と寒さは感じない。というか、もう随分前から私の手は感覚がなく、指の自由がきかないほどかじかんでしまっていた。でもゴールは近いのだ。その時の私には寒さよりも身軽になって少し気分を変えることの方が有効な気がした。(翌日このことをツアーのメンバーに話し、これがまったくの素人判断であったことを知らされるのであるが…。どうやら寒さや悪天候の中においては、最後まで手袋などは捨てず、体温の様子をみながら着けたり外したりして走った方がいいそうだ。私ときたら、25キロ頃に、付けていた手袋も路上に脱ぎ捨ててしまった。お蔭でレース後には、軽い低体温症か?と思うくらい手が震え、歯がガクガクとなり、ホテルに着く頃には部屋の電気のスイッチさえもなかなか付けることができなかったのだから、ほんとにバカで笑える。)
いよいよコースも終盤、市街地に入ってきた。沿道の人も増え幾重にも重なっている。私は心の中でおかしな問答を繰り返す。「今、欲しいものは何?完走メダル!あとは何もいりません!神様お願い!完走メダルを私にください!」(これまでに経験した3回のレースでも、この一番きつい時間になると、このおかしな自分問答が現われた。でも毎度のこと、完走メダルを手にしたとたん、“あとは何もいりません”はウソです。と、付け加え、神様ウソをついてごめんなさい、と言うのがお約束だ。)ここからは、とにかく気力のみでゴールを目指した。

残り、2マイル(3.2キロ)地点。添乗員さんが再び私を見つけ出してくれた。「根津さーん!」の声で、疲労で少し朦朧としていた意識が我に返る。がしかし私の声は出ない。でも、しっかりとアイコンタクトはとれた。写真を撮ってくれている。「負けないでー!」大きな声で背中を押してくれる。「はい。ありがとうございます」声にならず、吐息で応えた。私はここから先、ゴールが見えてくる頃まで、自分の足元だけをみて走っていたような気がする。間違いなく自分の足が前へ進んでいることを目で確認しながら走ることで気持ちも安心した。

ひときわ大きな歓声が少し遠くから聞こえてきた。私は頭を上げた。数百メートル先にゴールが見えていた。私の足はしっかり前へ、ゴールへ向かって走っている。ラスト、数百メートル、ゴールまで続くまっすぐに続く大きな通り。道の両脇にはフェンス越しに幾重にも重なるたくさんの人たち。そして響き渡る割れんばかりの歓声。そして降り続く雨。ようやくここまでやってきた。夢のような雰囲気が広がっている。これは夢?いや現実だ。足の痛みだけがやけにリアルではあるが、心はふわっとした夢心地。私はまるでスローモーションのような残像と歓声の中をゴールした。

旅は麻薬、そして、走ることは麻薬のようなものだと私は思う。私はまだ夢の途中を走っている。夢の途中のそのまた途中でたくさんの寄り道をしながら。

最後に。。。
いつもわがままな私を快く送り出してくれる大切な人たちへ感謝の気持ちと愛を込めて。
そして、ツアーで出会った方々へ、一人旅では体験できないような楽しい経験を一緒にたくさんさせて頂き、感謝の気持ちでいっぱい。また、いつかどこかで。


最後まで読んで頂きありがとうございました。
自ら備忘録を読み返し改めて、2月の京都マラソンがお天気に恵まれることを願うばかり……。

次回、ベルリンマラソン体験記を楽しみにして頂けると幸いです。
See you later.

文/TAKAKO NEZU

FacebookTwitterLine