【連載エッセイ⑥×大坪志穂】祖父のガン闘病と命の選択~余命宣告~

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あれは、2021年2月末の夜のこと。私は仕事を終え、家路についていた。マスク越しに吸い込んだ冷たい空気が、なんとなく心細い気持ちにさせた。

「こんばんは〜、元気かな?」

母と叔母と私の3人のLINEのトークルームに、叔母から1件のメッセージが入った。

いつもと変わらない一言のはず。でもなぜだろう、今日は何か違和感を感じる。なんだか嫌な予感がする……。

「どうしたの?何かあった?大丈夫?」

私はすかさず返信した。

「おじいがねー、一昨日に病院行って、余命の話になったようで」

やっぱりいい話ではないようだ。この吹き出しの後の、ほんの数秒が、とてつもなく怖かった。残された時間が、ここで告げられる。

「1年〜1年半て言われたみたいだ」

嘘だと思った。目の前でやりとりされている、母と叔母のラインを無気力に眺めていた。

「自分では5年くらいは大丈夫だと思っていたから、きっとショックがでかいと思う」

母はそう言った。実際宣告を受けた後の祖父の顔も見ている。珍しく落ち込んでいたのであろう。

祖父はまだまだ生きる気満々で、自覚症状もほとんどない。余命も、自ら聞いたそうだ。

今はまだ、弱る想像もできていない。自分はこれからどのように弱っていくんだろうと考え、まだまだ生きるだろうという自信もあったからきっと、自ら先生に尋ねたのだろう。

「昨日、手紙送ってさ。信じらんでよか、って書いたけど、私本当にそう思ってる。励ましとかじゃなくて。」

叔母が言う。宣告などさらさら信じていない様子だ。

母も、同じようにこう言った。

「一年半は生きられる。きっとそう言われてて五年経ちまして〜ってなるから。」

うんうん、そうだよねと、叔母と私で同調する。

私たちはこのときから、本気で、余命宣告など信じていない。

「神も仏もおらんなあ。」

我が家では、何も悪いことをしていないのに辛いことが続いたり、どうしようもないことが起こったりすると、よくこのフレーズが出る。

熊本地震のときもそうだった。

前震、本震を受けた後に局所的な豪雨。また熊本か……。神も仏もおらんなあ。

途方に暮れながら、信じられるのは自分たちのみだ、と言いながらもがいていた。

あのとき私は東京にいて、まだ大学生だった。あの瞬間、一人暮らしのテレビの前で、まさに地元の真上に震源地を記す✖️があるのを見つめ、ただ茫然としていた。

地震の日の夜が明けると、朝のニュースは地震の話題で持ちきりだった。

石垣が無惨に崩れた熊本城。

ぐちゃぐちゃに崩壊したマンションは、親友の家だ。涙が出た。

人生の中で最も濃い時間を過ごした高校時代までの思い出が、姿を変えてテレビやSNSにどんどん流れてくる。全てが信じられない光景だった。

家族にも友達にも、無事を確認したいけれど、私のせいで電話の回線が埋まってしまってはいけない。みんなにLINEもしたいけれど、必要な情報を得るためのスマホの充電を無くさせてはいけない。無力なんてものじゃなかった。

今日は電気が通った、今日は雨水をバケツに溜めている、と、ライフラインですら確保するのがやっとだという状況を、母から毎日聞いていた。

父は単身赴任で熊本にはおらず、祖父母の近くには母がいた。離れていて何もできない私や叔母からすると、母がついているだけで安心だった。

「死なんでよ」と送信した私のLINEの返信に、「頑張る」の一言と一緒に、母から祖父母と3人で写った画像が送られてくる。

無理矢理にでも笑顔を作った母と、どう見ても不安そうな表情の祖父母。

「生きている」

そう思った。心配だけれど、生きているというだけでよかった。

叔母も、「3人とも目が生きてるから大丈夫!」と返信していた。たぶん私と同じ気持ちだった。

大学のときからずっと地元を離れている私は、熊本に自然災害がある度に、「実家のほう大丈夫?」といろんな人に言っていただく。

「生きているので、まぁ大丈夫です!」

いつもそう答える。

正直、気持ちとしては全く大丈夫ではなくて、だれか助けてと言いたくなるときもあるけれど、生きているだけで、どうにかなるし、どうにかしてきた。

でも今はその、「生きている」が、叶わなくなるときが来ようとしているらしい。

神や仏に力を乞うたのは、まだ28年という短い人生の中で、受験のときや、国家試験のときくらいだ。

どうか受かりますように。そう思っても、結局は家族の支えや自分の努力次第だった。母も、いつも「できたところまででよか。ここまで頑張ったんだけん」と、勇気づけてくれた。

努力が自分の自信になり、ここまでやって、ダメならもうそれは運命だ、と受け入れる覚悟さえできていた。

でも今は違う。自分の努力でどうにかなるものではないし、命の終わりは静かに一歩ずつ近づいてくる。

ここ最近、祖父の身体は、どの薬も効かなくなってきて、数値もどんどん悪化しているそうだ。

でもいつもの”あのフレーズ”は、家族の中の誰一人として口にしていない。なぜだろう。

神でも仏でも、いると信じて、誰でもいいから何かにすがって、どうか生きられますようにと願いたいからなのか。

実際は、まだ食事も普通にできている、何でも自分の力でこなしている祖父が、いなくなるなんて我が家の誰も本気で思っていない。想像すらしていない。まだずっと生きるに違いないと、なぜか強気でいて、余命宣告なんて信じる気もない。

「生きている」がまだ暫く続くはず。

もし私たちのこの想いが叶うなら、神よりも仏よりも、自分たちが生んだこの言霊を信じたい。