【連載エッセイ⑨×根津孝子】父のガン闘病と命の選択~「熊本弁と父」~

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2021年9月も終わりに差し掛かり、次第に秋めいてきました……。

秋といえば、食べることが大好きな私は「食欲の秋」が真っ先に思い浮かぶのですが、ここ最近、父の様子をみていると、改めて、食べること、もっといえば、ものを美味しく食べられるということが、どんなに幸せなことであるかということについていろいろ考えます。

正直、父はだいぶ弱りました。特にここ1カ月で急に。大好きだったゴルフもできなくなりました。日常生活において、自分のことは自分でできますが、食欲がなくなり、随分と痩せました。どちらかというと、食べたいと思って食事をするというより、生きるために食べている、という状況なのかもしれません。

脳が空腹の指令を出すことで、人は食欲が出てものを美味しく食べられるのです。しかし、ガンという病はその指令を出す脳の働きにいたずらをします。だから食欲がなくなってしまいます。ガン患者の特徴に、痩せる、というのがあるのはそいういう理由であると、先生からの説明も受けました。

私は現在、東京と熊本を行ったり来たりの生活をしています。家事を手伝うことくらいしかできませんが、場賑わせの私がいることで、少しは食事の時間が楽しくなればいいな、と思っています。

父の人生において、食べること=楽しくない時間が少しでも短くなりますように。

下記は、つい数か月前、今年の6月の記録です。この時と現在との違いに私自身が少し困惑をしていますが、父とこのような時間を過ごせたことに感謝をしつつ、掲載させて頂きます。

最後までお読み頂けると幸いです。

熊本弁と父

2021年、某月某日、旬のメロンが美味しい季節のある日。

「こらぁ~、あもぅして、うまかーーーーー!」

東京で一人暮らしをしている私の部屋に、思わずビクッとしてしまうくらい、野太くて大きく、うなるような男の声が響いた。

しかもこの、「かーーーーー!」の部分は、何とも声にならない声、熊本弁がわかる人にならば、きっとその雰囲気が伝わると思うのだが、それは呼吸とともに喉から絞り出される、地鳴りのような音であった。

声の主は、現在81歳の熊本に住む父だ。コロナのワクチン接種を2度終え、約2年ぶりに東京へやってきたのだった。

なんて運のいい男だろう、その日、私の部屋の冷蔵庫には、絶好のタイミングで頂きものの高級メロンが冷えていた。

その日は横浜に住む社会人の姪(父にとってはたった一人の孫)も集い、3人でテーブルを囲んでいた。

私と姪は、そのあまりにも気持ちの入った父の「ザ、熊本弁」に、思わず目を合わせ、以心伝心、ケラケラとお腹をかかえて笑いが止まらなくなってしまったのだった。

「何のそぎゃんおかしかつかい?」と、笑いの発信元が自分であることに気づいていない父。

そのうち、何だか言葉では言い表せない愉快な空気が部屋いっぱいに広がって、3人とも顔をくしゃくしゃにしながらひとしきり笑い合い、笑い過ぎて涙が溢れ出た。

そして私はふっと我に返り、「幸せだな」と心の中で思った。

口に出すのが何となく恥ずかしくて言葉には出来なかったのだけれど、確かにそれは、絵に描いたような幸せな時間だった。

天災、コロナ……未曾有の出来事が起こる度、「何気ない日常に幸せを感じる」というフレーズをよく耳にする。しかし、私にとっては、もう既に熊本弁が何気ない日常ではなく、特別な日の出来事になってしまったんだなーと思うと、少し寂しくもなった。

父が帰った後、私の日常が戻り、いつものように部屋で一人食事をしながら父の真似をして、「うまかーーーーー!」と声に出して言ってみた。するとどうだろう、代り映えのしない料理が特別美味しく感じるではないか。

そしてあの日の、あのメロンのシーンが蘇り、フフと笑いがこみ上げてきた。

またひとつ、幸せの意味を知った気がした。

(※この文章は、熊本県立玉名高校同窓会東京支部「在京玉高会」2021年会報に掲載されたものです。)