【回想2】一喜一喜と魔法の薬。
先日(2021年6月30日)、元プロ野球選手で野球解説者の大島康徳さんが亡くなった。野球に詳しくない私は、ガンで闘病されていることをネットのニュースで頻繁にみかけるようになり大島さんのことを知ったのだけれど、亡くなる直前まで闘病の様子を自らのブログで配信されていた。
訃報の知らせがyahooニュースで流れたのは知っていたが、その時は読むタイミングを逃し、数時間後に改めて読もうとした時には、ニュースのカテゴリーページもスポーツのカテゴリーページも既に他の最新ニュースが流れていて、大島さん訃報のニュースを読むには、随分先までページを遡ることになった。
ネットの最新のニュースには、大リーグで活躍中の大谷翔平選手のことが沢山アップされていた。どれも、読めば日本中をワクワクさせるような内容ばかりだ。
訃報のニュースと大リーグで現在活躍真最中のニュースという、2つのニュースのコントラストの激しさを目にした私の頭の中に、ぼんやりと、“生きているうちが花”という言葉が浮かんだ。
ネットのニュースは一日のうちにその内容が刻々変わり、最新のニュースがトップページに常に表示される。言うまでもなく、少し時間が経ったニュースは、どんどん下位ページへ送り出され、よっぽど興味があるなどのことで検索をする用事がない限り、タイミングを逃すと二度と人の目に触れることすらないかもしれない。
そう、それはまるで人の記憶みたいだ。
興味のないことは記憶の奥にしまわれ、そのまま忘れてしまうこともある。
おそらく、一般的な生活を送ってきた人であれば、故人を思い出すことがあるのは、同じ時間を過ごした家族くらいだろう。勿論その家族だって四六時中思っているわけではない。時が経てば、普段は忘れて生活をしていることだろう。
きっとそれでいいのだ、その方がいいのだ、とも思う。
だからというわけではないけれど、刹那的な生き方を肯定するわけでもないけれど、“生きているうちが花”だと思う。
そして、できることならば、自分の頭の中のトップページを、常に明るいニュースでいっぱいにしておけたらいいのにとも思う。
さて、話を父のガン闘病の話に戻そう。
2018年の年末に前立腺ガンということが判明し、骨へ転移していることもわかった父。
発覚した病院の帰り、私たち家族がまずやったこと、それは、ドラッグストアに置いてある全種類の大人用紙おむつを購入しての品評会だった。
この頃、父の頻尿の症状は切実だったので、この先ずっと紙おむつ生活になると思い、ならば、より使い心地のいいものはどれなのか試してみよう、ということになったのだ。
「これから先、ずっと紙おむつばせんといかん生活になるとだろうか?俺、嫌ばい」と話す父だったが、実際に家で品評会を始めると、父は持ち前の明るさを発揮し、あぁでもない、こうでもないと、ぞれぞれ、紙おむつの素材や形態、厚みなどを確認し、最後には、まるでファッションショーのように試着してみせ、本人にとって楽しい話ではないことは確かなのだが、皆で、さっきの方がよかった、こっちの方がいいなどと言い合いながら、時々大きな笑い声まで起きた。
「よし、これにするばい!」と言った父は、この時、何かがふっきれたように、これから残された人生、ずっと紙おむつのお世話になる覚悟が決まった様子だった。そしてガンとともに、これから残された人生を生きていくということも……。
しかし、しかしだ、事態は好転した。きっとこういう状況のことを「一喜一憂」と表現するのだろうが、正直、「一喜一喜」という表現が相応しいくらい、憂うことのない時期が、暫く続くことになる。
魔法の薬が効いたのだ。
私は、2019年に入ってから、父の月一の定期的なガン治療のための通院に同行するため、それに合わせ、毎月熊本へ行くようにした。まだ新型コロナが日本になかった頃のことだ。
ガン発覚と同時に始まったホルモン療法だったが、素人の私からすると、それは魔法の薬かもしれないと思わせるくらい、とにかくよく効いた。発覚当初、驚くほど高くなっていた前立腺の異常を示すPSAの数値が、薬を飲み始めるとすぐに、正常値まで戻った。
そしてそれと同時に、頻尿の症状もピタっと治まった。あの日に買った大量の大人用紙おむつは、品評会をした日以来、殆ど使われることなく、現在も家の倉庫部屋に保管したままになっている。
父が一旦覚悟をした、「ここからの人生ずっと紙おむつ生活」は、早いタイミングで一旦免れることができたのだ。
勿論、ホルモン療法により男性ホルモンを抑えることで、筋力が落ちたり、日々の生活で注意をしなければならないことが増えたりと、様々なマイナス面もある。でもきっと、マイナス面を気にし過ぎると、日常が楽しくなくなってしまうことだろう。
私は今、父の暮らし、日々の闘病生活を追いながら、ある意味とてもノー天気でもあり、ある意味とても達観したその日々の暮らしぶりに、自分もいつかそんな状況になった時、と重ねることがよくあって、父にお手本をみせてもらっている気持ちになるのだ。
“一喜一喜”がずっと続くなどとは思っていない。一憂させられる出来事は必ずやってくる。(実際、この先つづきを書いていくつもりだが、現在までの治療を通じて、何度も一憂するタイミングがやってきた。)でも、そんな時でもできるだけ喜ばしいことにフォーカスした人生を送ることを心がけたいと、父をみているといつもそう思う。
明るさは全てを救うのかもしれないと、不思議とそう思えてくる。
いつか父が逝き、そこからまた数年経って、時々家族が父のことを思い出すことがあったとして、きっとその時は、おしゃべりで楽しい父のことばかりを思い出す気がしてならない。
それから、読者のみなさまにご高齢の親がいらっしゃるとして、もし大きな病気があり通院をされているとしたら、できるだけ、どなたかが病院に付き添ってあげて欲しいとも思う。なぜならば、受診した際、先生からのお話をより的確に、より客観的に理解する必要があると思うからだ。どうしても高齢で当事者(患者)となると、聞き漏らしや誤解をしてしまうことがありがちな気がする。
また、余談になるが、若いうちから歯や歯茎、所謂、口腔ケアをきちんとしておくことがいかに大切かということを、父の通院を通して改めて知った。歯の健康が身体の健康に繋がるとよく耳にするが、私が知ったのはそういう漠然としたことではなく、もっとハッキリとしたことで、歯槽膿漏や歯肉炎があると、できないガン治療(使えない薬)があるのだ。
歯槽膿漏があるからガンの治療が受けられないなんて、できることならば避けたいが、実際、日本の多くの高齢者は、歯槽膿漏や歯肉炎があるのではないかとも思う。幸い、父はガン発覚以前から、月1回歯医者さんに通院し、メンテナンスを受け続けていたので、歯槽膿漏や歯肉炎はなく、治療の選択肢を削ることは免れた。
家族が病気になると、これまで知らなかった身体のこと、病気のことを知るきっかけにもなる。あまり神経質になるつもりもないし、なる必要もないけれど、日々の口腔ケアの大切さだけはここに記しておきたい。
(つづく……)
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