【連載×ますだあけみ】あなたは無意識に誰かを支配しようとしていませんか?

『国際結婚救助隊』隊長のあけさんです。

名古屋で結婚相談所を始めて13年目。以前は日本人同士の恋愛相談や婚活スクール、お見合を行っていましたが、6年前から東南アジアの女子達とのご縁を繋げて国際結婚のお手伝いをしています。

本エッセイでは、婚活に奮闘している男性に向けて、𠮟咤激励を少々飛ばし、寄り添いながら結婚・家族・人生について一緒に考えていきたいと思います。

先日のこと、6月ですが、「五月の雨」という映画を観てきました。内容は、2024年5月に77年ぶりに家族法改正がされ、2026年4月1日から施されたで『共同親権』という新たな制度に関わるお話で、離婚後も両親ともに親権を持つことに触れたストーリーでした。

『共同親権』により、子どもの進路などの大きな選択時には双方からの希望や意見を言えるらしいのです。婚活の仕事をしているのに全くの不勉強で『共同親権』を理解していませんでした。婚姻しても全ての人が一生添い遂げるわけではなく、離婚という選択もあります。

日本の場合の多くは協議離婚となり、二人の意思が同じなら離婚成立になります。しかし、お互いまたは片側が納得できないと調停や裁判になり、裁判の結果、最終的には夫婦から他人となるケースが多いのかもれません。

しかし、子供がいる場合、『共同親権』ということになれば、家族という括りから外れた人の意見や希望を確認していかないといけないことが離婚後も続きます。当人同士は他人になったのしても……。

肝心な子どもの意見や気持ちはどうなるのでしょうか?子どもたちの人生を考えた法律なのでしょうか?

最近でこそモラハラやDVというワードはよく聞きます。今後結婚した場合や既に婚姻済みの人も『共同親権』は他人事ではない話です。私自身あまり深く考えずに鑑賞し、被害者側からの様子を観ていてふと感じたことは、夫から心無い言葉や態度を取られた時に、なぜ妻側は反発したり言い返したりしないのかということでした。妻側が何も言わず、謝る態度を取るから相手はまた憤慨したり罵声を浴びせてきます。この連鎖は、結局はお互いが引き起こしているのではないかと考えてしまったのでした。

私は相手が理不尽であったり、大声を出されたら負けずに言うことができるし、言うべきだと思っていました。

しかし、しかしです、誰が自分の思っていることを言えたらいいのに、言うことができたら苦労しないのにと、私の中で言う”べき”と言わなければ”ならない”という、自分だけの想いや気持ちだけで相手のことを考えずに、従わせようとする行動に気付いた瞬間でもありました。

私の気持ちが伝わらないから、このモヤモヤが怒りになり、怒りで相手を支配しようとしていたことを無意識にやっていたのでした。これは自分は間違っていないと考えているから厄介なのです。間違っていないから改めない。だからDVやモラハラする側は相手が悪いと思い改めることができない。自分の非を認めないから平行線のままです。「五月の雨」を観て被害者側だけでなく、加害者側の行動に気付きました。お互いが無意識レベルでの対立だからこそ他人事ではないのです。

先日、富山と新潟へ実家訪問に行ってきました。国際結婚をするときに二人の気持ちは一番大切ですが、身内も友達もいない場所へ嫁いできてくれるアジアの女子たち。夫側の家族に必ず会ってから再度婚姻の意思を確認しています。今回訪問した富山と新潟のご両親は国際結婚に反対していると男性から聞きました。

私自身の固定概念で、田舎で海外に行ったことがないし、考え方が閉鎖的だから国際結婚を認めず、古い情報のままなのだろうと決めつけていました。しかし、富山のご両親は笑顔で迎えてくれました。反対ではなく、ベトナム女子のことをすごく気にかけてくれて、心配な気持ちを男性が反対していると勘違いしていたのでした。

お母さまからは「知り合いがいない状況だから、今後サポートもするし娘のように接していきます。」と申し出てくれました。しかもこのお母さまは難聴で全く耳が聞こえ無かった為、話し合いは筆談しないとと思っていましたが、スマホのアプリを使い、文字おこし機能で問題なくお話ができました。言語が違うからこそ、お母さまの使っていた手話という新たな手段をベトナム女子と共に教えてもらい、手話をして会話が通じた時に何とも言えない感動……。言語の完璧さよりも相手にわかりやすく伝えることの大切さも教えていただきました。

新潟のご両親は息子が騙されている、苦労するのがわかっているから結婚には反対をされていました。しかしご実家に伺い、反対ではなく心配をしていたので、手続きの流れをお話をすると誤解も解け、話は盛り上がり、お母さまとタイ女子は仲良くなっていました。いつも思うのは、親世代の古い固定概念です。外国人との結婚は、男性を騙し日本国籍目当てだから誰とでも結婚する、男性の貯金を国に送ってしまう、地域や親戚に国際結婚したことを言えない、それは外国人だから見た目が目立つというのです。しかし、今までほぼ全員女子たちに会うと「思っていた女性と違う」と見る目はもちろん、考え方も変わります。私はその反応を見られることが密かな楽しみです。 

新潟のご両親は趣味で畑に季節ごとの野菜や果物を作り、近所や親戚に配るのが楽しみだと言います。米どころ新潟だからお米はもらうことが多く、食べる物には困ったことが無いと言います。庭には彩とりどりの花が植えられて、雪が多い冬の間は趣味の裁縫でかわいい小物を作っています。その小物をタイの女子がかわいいと言うとお土産に持たせてくれました。そのやり取りを見ていて、私の方が親は閉鎖的だと決めつけていた自分の閉鎖的な考えをすごく反省しました。こちらが決めつけているから相手も考えを曲げない。私は今まで自分自身の正論や通じない怒りによって相手を支配しようとしていたのかもしれません。心配の中にも柔軟な対応ができるご両親の対応にはリスペクトです。

紹介がうまくいくケースばかりではありません。聞く耳を持たない親御さんもたくさんいます。何よりも自分の結婚のことなのに親の顔色を伺い、自分で覚悟をすることができない男性たちは自分で結論を出しません。しかし、この男性たちも最初は親と話をしていたのかもしれません。抗議しても聞いてくれない、反対される、正論を言われる、横柄な態度を取り続けられると…反発が面倒になります。言っても変わらないのなら、気持ちというものは少しずつ削がれてしまうのでしょう。息子のためにという行動が実は静かなモラハラで暴力ではないけど気持ちのDVなのかもしれないと思ってしまいました。

親のことは切り離せないと考えている子どもは多くいます。特に長男は家を出る選択肢を持っていない人がいます。そんな時は距離を取って離れてみる。離れてみることで今まで見えなかったことや感じることに気付けるだけでも今後の人生の糧になると思います。親を選ぶことはできないけど、離れることはできるのです。親は「子どものことを思って」という言葉は本当に正解なのか、振り返る必要があると思っています。親の正解が全て正しい時代ではありません。

結婚条件として価値観が同じ人がいいとよく聞きます。自分の価値観はわかっているのか、自覚しているのか、その気持ちや考えを言語化できるか、おぼろげな感覚だと擦り合わせをする時にズレが生じます。そのズレが悪いのではなく、ズレをお互いが理解し埋める努力をしていくことが結婚生活です。正論を押しつけ、違いを威嚇しながら支配していく構造が映画『五月の雨』のように暴力はないけど相手を疲弊させ恐怖に陥れていく。結婚したからと言って相手は自分ではなく、子どもも分身ではなく違う人格なのです。被害者側の叫ぶことが出来ない声を聞くことや無意識に相手を支配しようとする怖さに気付いた大きな大きな視点でした。あなたは無意識に誰かを支配しようとしていませんか?