はじめに
いつもの散歩コースに今年も季節の花アジサイが華やかに咲いた。アジサイは、毎年咲き終わると思い切り根に近い部分から枝を短く切られ、それでもまたぐんぐん枝を伸ばし、元気に花を咲かせる。
毎年美しく咲くアジサイに、その生命力の強さを感じる。
何となくアジサイの花言葉を知りたくなり調べてみると、「団らん」「家族」などと記してあった。小さな花がひしめき合って咲いているように見えることに由来するらしい。
これから私が書き綴っていこうと思っていることとどこかつながっているようで、とても不思議な気持ちになった。
私は現在(2021年5月末)51歳。東京に住んでいる。
私には二人の父と、二人の母がいる。といっても私は現在独身なので、実の両親と義父母というわけではない。
身近にいる人たちは勿論その事情を知っているが、時々、新しく出会った人に私の人生の事情を説明すると驚かれることも多い……。
このエッセイで私が書きたいことと、これまでの私の人生の経緯はあまり関係がないので、深く触れる必要はないことだろう。だだ、私自身、書き進むにつれ、また、読者の皆様が読み進むにつれ、その状況が混乱することになるかもしれないので、はじめに少し触れておくことにした。
私の故郷は熊本で、今も故郷に住む実の両親、そして、現在の私住まい、東京の部屋からスープの冷めない距離に住む養父母がいる。その四人が私の親というわけだ。
私も初老といってもおかしくない歳なので、両親が揃っていることに日々感謝するとともに、どこか大人になりきれない自分の未熟さも自覚しているつもりだ。
これから私が書こうとしていることは、そのタイトルからも想像がつくだろうが、こういった状況にある時の表現として、「両親が健在」という表現が相応しいのか、今の気持ちはとても微妙で、けれど、年相応にそれぞれ持病はありつつも、きちんと自立した生活ができている四人の親たちだ。ちなみに二人の父はまだ仕事もしている。
もしかしたら、少し親しい人たちに説明する時は、“健在”という表現になるのかもしれない。(実際、そういうことにしている。)
けれど、本当は少し深刻な状況なのかもしれない……。かもしれない?そう、まだ家族の誰も、そして本人さえも深刻な状況であるという自覚がないというのが正直なところなのだ。
現在、深刻な?状況にあるのは、81歳の熊本に住む父である。
順番通りに逝くとするならば、今のところその順番は間違っていない。
勿論、頭の中では理解している。命に永遠はないことを。
これまで友人の親御さんの葬儀に参加したことも何度かある。そんな時、友人の気持ちを思うととても切ないのだけれど、「まぁ、そうだよな。順番は守っている……」と、頭と心でどこか折り合いをつけられた。
でもいざ自分のこととなると折り合いがつかないのだ。というか、現時点、“父が死ぬ”イメージがわかないのだ。
だからというわけではないけれど、これからそう長くない先に起こるであろう父の命の選択について、もっというならば、既にこれまでしてきた父の治療にまつわる選択と、それに対する自分の心の変化や家族としての思いを、最後まで書き留めておきたいと思った。
自己満足に過ぎない作業なのかもしれない。でも書くことで私の気持ちは落ち着く。だから私は書く。
命の選択について、どの選択が正しく、どの選択が間違い、ということはないと重々理解したうえでのことだ。
時々、なんてデリカシーのない馬鹿な奴だと自分のことが嫌になってしまうのだが、正直な話、今の私は誰でもいいので手あたり次第につかまえて、「あなたは親を亡くしたことがありますか?その時、どんな気持ちでしたか?」と尋ねてみたい気持ちでいる。そうすることで、自己防衛的に心の準備をしたいのだと思う。
勿論、それもまた私自身の人生に起こらなくてはならない感情であると日々消化しつつ、表面的にはそんな気持ちをグッとこらえながら私は今生きている。
先日のこと、私は父にこんな話をした。これこれこういうエッセイを書きたいと思っていて、書くために、父が答えにくいような、時に心をえぐるような質問をすることになるかもしれないし、気持ち的にグレーのままでいい部分を、私が尋ねたことで白黒はっきりさせてしまうことになるかもしれないがそれでもいいか、と。
すると父はこう言った。「よかよか。何でも書いてよか。あんたが好きなごつ書いてよか」と。
このエッセイを書き終えた時、もしかしたらもう父は天に召されているかもしれない。
「はじめに」のページを書きながら、パソコンの画面が曇る。こんなことで最後まで書けるのかと少し心配になり、苦笑する私……。
そうだ、まだ泣くところではない。父はまだ生きている。
きっと父は母とともに今朝もとりとめのない会話をしながら白米をほおばり、母の作った味噌汁、焼き魚に漬物、という変わり映えはしないけれど、いつも通りの朝食をとり、会社に出勤したはずだ。
今日は、2021年5月31日。
まだ、父は元気だ。
いつ書き終えるのかわからないとこのエッセイ。書き終わった時、私はどんな気持ちでいるのだろうか?今はまだ想像もつかないでいる。
【回想1】 2018年12月。父のガン発覚。
時を少し戻そう。それは、新型コロナウィルスもまだこの世に現れていない時代、2018年が終わろうとしている頃のことだった。
本当に個人的なことではあるが、今振り返ってみても2018年という年は、私の人生にとってあまり良い年とはいうことのできない、トラブルの多い年であったように思う。
ひとまとまりにトラブルといっても、それは、日々起こる小さなものから、未だにその悲しみが癒えない大きなものまで、本当に色々なトラブルの多い年であった。その色々なことをここで書くつもりはないけれど、父のガン発覚と、15年4カ月を共に過ごした愛犬の死は、私の中でどうしても偶然とは思えないので、ここに記しておきたい。
愛犬の調子が悪くなったのはその年の11月頃だった。それまでは高齢犬とはいえ足取りも調子よく、その1年前くらいから犬によくある心臓病を患ってはいたものの、薬をきちんと飲んで変わらず元気に過ごしていたし、正直、そんなに急激に悪くなるなんて予感すらしていなかった。きっと18歳くらまでは生きてくれるだろうと思っていたのだ。
ここ数年、東京は秋が短く、秋を飛び越えて一気に夏から冬になったような気温の変化があるので、そういう気候も影響したのかもしれない。とにかく、寒くなってから急にトボトボと歩くようになり、薬が効かなくなって心臓が苦しそうな時があり、次第に眠れないようになっていった。きっとすごく眠いし眠りたいのだけれど、横になると心臓が苦しいらしく、長い時間を立って過ごしているしかない様子だった。抱っこしようとすると嫌がるので、私はただただ見守ることしかできず無力だった。勿論その間もかかりつけの動物病院の先生に何度も診てもらい、症状を緩和させる薬や注射などをしてもらったのだけれど、先生曰く、「もって、あと2か月かな……」ということだった。
12月に入る頃には、食事も殆どとれなくなって痩せてしまい、でもそれとともに心臓自体の機能が衰えてしまったのか、やっと横にはなれるようになって、ほぼ寝たきりの状態になっていた。それでもトイレに行くときは一生懸命に立ってトイレシートに向かい(最後までオムツはしなった)、目と耳はまだちゃんと機能していて、話かけると耳をピクンと動かし、顔を上げて目を合わせようとしてくれた。
何となく心の準備はできていた。というか明らかに私の目の前で日に日に弱っていく愛犬……覚悟するしかなかった。
そんな12月のあたまの頃だった。熊本に住む姉から電話があったのは。姉は実家の近くに住んでいて、父の会社で働いている。
「もしもし、あのね、お父さんがガンかもしれん」
「え?ガンって……どこの?」
「前立腺の。前からちょっと怪しいとは思っとったけど、最近急に頻尿の症状がひどくなってね……血液検査の結果がよくなくてね……」
この連絡を受けた時の私の気持ちを正直にひとことで言うならば、「ついに来たか」、という気持ちだったように思う。
自分の年齢を考えれば、親が患うというのも覚悟していなければならない。そこには意外に冷静な自分がいて、どんな病院で診てもらい、どんな治療をこれから受けることになるのかということが一番気になった。
そして、愛犬のことといい、悪いことは重なるとはよく言ったもんだ、と思った。
その連絡を受けて、父本人や母、姉からも電話でいろいろ話を聞いた。私はすぐにセカンドオピニオンを勧めたのだけれど、私の熊本の家族の性分がそうなのか、熊本という地域性からなのか、それは未だにわからないのだが、いい意味でも悪い意味でもとても義理堅い部分が邪魔をし、これまでのかかりつけの病院や親しい先生(※泌尿器やガン治療の専門医ではない)に引き続き診てもらうという思考をなかなか変えるのが大変で、私はその考え方を変えてもらうために、憎まれ役を買って出ることになる。
家族に「誰の命だよ!」と電話口で結構強い口調で話したのを覚えている。
今の時代、セカンドオピニオンは常識だと思っていたので、その感覚的な違いに驚いたのだが、それはそれとして、先に進めるしかなかった。
つまり、現状診てもらっている先生へ、専門医の治療を受けたいので、転院したい旨を伝える役目を担うことになった私は、近々、この連絡を受けた1週間後の父の病院の予約に合わせ、熊本へ行かなければならなかった。
私は心配をかけるといけないので、愛犬の具合が悪いことは話していなかった……(つづく)
[…] 【回想1※連載エッセイ×根津孝子①からの続き】 2018年12月。父のガン発覚。 […]
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