【連載エッセイ⑫×大坪志穂】祖父のガン闘病と命の選択~入院、その時~

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急に気温が下がり、どことなく寂しい気持ちになり始める10月の末。

道を行く人々もすっかり秋の装いだ。今年もあと2ヶ月で終わるのかと、しみじみとしていた。ハロウィンが終わればすぐ年末が来る、この毎年の感覚はきっと今年もそうで、新しい年も祖父と生きて迎えたいな、なんて思っていた。

そんな頃、祖父の入院の話を聞いた。
以前、私も面談に同行した、あの緩和ケアのある病院(エッセイ⑧)に、ついに入るらしい。緩和ではなく、一般病棟に入って、緩和ケア病棟の空きを待つ段階だった。入院したその当日の夜、私は母に電話をした。
そこには叔母も祖母も一緒にいるようだ。

「来週の月曜だけおじいが外泊をするんだけど。お仕事かな?」
と、母に言われた。いつもの母の声より沈んでいて、弱くて、力がない。私はちょうど休みだったので、一瞬で帰る気になり、じゃあそこで帰ろうかなと言った。入院と聞くと、またさらに一段階先に進んでしまったようで、今会いたいと突発的に思ったのだ。

叔母の声が電話の奥から聞こえる。
「やめて。会いたいとか志穂ちゃんのただの自己満だから!帰ってくるとか本当にやめて。迷惑だから。ほんと、自分のことしか考えてないよね。自分、自分、なんだよな。なんでわからないの。」あえて、電話の向こうの私に聞こえるように言っているのが分かる。叔母としては帰ってきて欲しくないようだ。私はこの時、なんでこんなことを言うのか、叔母の気持ちが分かっていなかった。
唐突に聞いたその言葉に、私はムキになるだけだった。

祖母が、「帰ってこらすと志穂ちゃんのかわいそか〜」と横で言っているのも聞こえる。母は、なんだか気持ちが揺れているようだった。帰ってきて欲しい気持ちはあるけど、帰って来られると良くないこともあるようで、こう言った。

「みんな、志穂には元気な頃のおじいの記憶のままでいてほしいとたい。おじいも、志穂が帰ってくると、もう自分も、いよいよかな〜って思わすかもしれん。」なんで帰っちゃいけないの?拒否されているようで、私は強く言い返す。

「なに?これで会えないままおじいが死んじゃったら、私は一生後悔して、ずっとずっと言うからね!!あの時みんながおじいに会わせてくれなかったからだって。ずっと言うからね!」こんなことを言って母達を責めたかったわけではない。

母は、「そうだね…ごめんね…」と悲しそうにつぶやいた。

そして涙ながらにこう言った。
「私たちも悲しいとたい…。辛いのよ…。ここにいるみんな同じ気持ちたい。ショックで、悲しいとよ、同じよ。今日病院におじいを届けてね。ぐったりして、動ききらっさんかった(動けなかった)。志穂が最後に会ってからまた、5キロくらい痩せたかなあ。見た目もだいぶ変わっとらす。私が志穂だったとしても、おじいに会いたいって言うと思う。でも今はもうね、あのときよりもっと弱っとらすけん、会ってから志穂にもショックを受けて欲しくないとよ。できれば元気な頃の姿だけを、覚えといて欲しいとよ。」

祖母が先程、志穂が可哀想と言った意味も、そういうことだとこの時やっと分かった。

私「ショックより…それより会えないまま終わりの方が嫌だもん。」

本当に会えないまま終わってしまいそう…。みんなでお揃いのチーム孝二Tシャツを着て笑った、あの日が、私の中の祖父の記憶の最後になるのか?そんなの嫌だ、また会いにくると祖父にあの時約束した。

泣きじゃくって、わけもわからず、嫌だ帰りたい、と言い続けた。ただの駄々っ子だ。一度も会えないまま消えてしまうってこんなにも怖いものかと思った。

私「この間、私が帰ったとき、どんなにおじいが喜んでくれたか…みんな見てないじゃん!誰も…。本当に嬉しそうだったもん…この手をずっと、離さなかったんだもん。誰も見てなかったじゃん。だから帰ってくるなとか言えるんだよ!こうやって志穂に手を握られながら死ねるなら幸せだって、ハッキリ言ってたもん。本当だもん…。」

またあの小さな奇跡を起こして、少しでも祖父を元気にしたかった。会えばきっと、喜んでくれると思っていた。でも今はもう、違うのかな。

見かねた叔母が、母と電話を代わる。

叔母「外部の面会も断っているのを私達は毎日見てるわけ。人に会いたくないんだわ。患者の気持ちを考えなってこと。」

私「志穂にも…志穂にも会いたくないって言った?おじいが、おじいの口で、ほんとにそう言った?」

私にすら会いたくないなんて、思いたくなかった。
自分は血の繋がった家族で、たった1人の孫で、いつだって会えば必ず嬉しい、特別な存在だと思いたかっただけ。そんなの勝手な自分の理想なのはこのとき、少しだけ気付いていた。会いたくないというのは、叔母や、周りのみんなの勝手な思い込みであり、祖父はそんなことを思うはずがないと、自分を納得させたかった。

叔母「志穂ちゃんにっていうか、もう誰にも会いたくないんだよ。会いたいとか自己満だから。悪いけど、娘と孫では立場が全然違うから。」

以前、親友と話したことがある。親子では近すぎてぶつかることがあっても、孫ならうまく入っていけることってあるよねと。でも叔母に今、こう言われると、その親子ではない、祖父と孫という距離感が、もどかしいとも思った。

会いたいというのは自己満か。そう言われるとそうかもしれない。会わないと後悔するから会っておこうという、私の欲を満たすため。
祖父が私に会いたいはずだと決めつけて、自分がこれから後悔しないように、自分の心を守るためにだと気付き始める。でも認めたくない。このとき私は冷静でもなくて、ただ、会えればいいとしか思おうとしなかった。

叔母「手とか握ってゆっくりしゃべれる状況じゃないしね。それがリアルです。よろしくお願いします。以上です。」

手も握れない。帰ってきても何もできないと言いたいのだろう。私が最後に会った時よりだいぶ、状況は悪くなっていることを示唆していた。そして何より、言葉の節が強くても、とても辛そうに聞こえた。

祖父のことを想い、弱った姿を人に見せたくないであろうと、残された時間が短いと悟って欲しくないのだと、そう思う優しさだ。なんでそれが分からないのかと、理解してあげろと、私に言いたいのだ。

これが、いま目の前で祖父を見る人達からの言葉。どれだけ刺さる言葉をこうやって言われても、私は傷つかない。なぜならば、家族だから。言葉の裏に眠る本当の心を、分かっている。
言われた言葉に対して、悲しいとは全くもって思わない。3人がこれほどショックを受ける程、祖父の身体は良くないのだと分かってしまう、この現状そのものが、悲しいのだ。 
癌が発覚した時に言い争ったことを、この瞬間思い出していた。
心配と動揺で、言葉がお互いに強くなっていた。

あの頃の私とはもう違う。ただ攻撃し合うのではない。
気持ちは同じで、現れる言葉がそれぞれ違うだけだと、もう分かっている。
それぞれの形で、心のバランスを保っているのだ。それが分かるからこそ、今のこの状況が、祖父がまた一段階、目に見えて弱ってしまったことを物語っているのだと悟ってしまった。だんだんと弱る様子や、今日の祖父の状態に、おそらく3人とも動揺しているわけで、心配で、取り残される不安もある。
今日という1日が、とても悲しい1日だったのだろうなと、電話越しでも感じていた。

「明日、おじいに電話してあげてよ」と、母が言っている。
何を話せばいいのか、正直正解が分からないが、祖父を目の前で見ていた母がそう言うのならば、それくらいしか私にはできないと思った。

とにかく私は今日、「会いたい」としか思えなくて、「会わない」という選択は少しもできなかった。このまま終わりだと思うと、とにかく怖いのだ。

一旦冷静になるために、今日は電話を切ることにする。
また明日、祖父に電話して、入院の様子を聞いてみる。

私は正直、性格上、人が怒っていることや、イライラしていることに心からの共感ができない。社会人になってから尚更そうなったと思う。
これは、優しいのではなくて、イラついても疲れるなと思うだけで、いいことを考えた方が自分が楽だと思ってしまうからだ。楽しいことや嬉しいことで揉み消してしまった方がいい。
ほぼ同じテンションを保ち、負の感情の波がない方が楽だから、自分を保つためにイライラしなくなってしまっている。

でも今日このような電話をして、家族を相手にするとやはり違うようだ。
心の底から震えるし、悲しくて悔しい。でも、楽をしようといつもみたいにいいことしか考えないわけにはもう、いかないのだ。

明日も向き合う。
誰よりも祖父の言葉に、耳を傾けてみる。

そして翌日。

眠りから覚めても、昨日の電話から続く、靄がかった胸の感覚は消えてはいなかった。

今日は朝から祖父に電話をする約束だ。昨日の、3人との電話の話はしない。あくまでも、入院の様子を伺う程で話すつもりだ。なんと言おうかなとぼんやりと考えながら携帯を見ていたその時、母からラインが入った。

「おはよう。昨日は辛い思いさせてごめんね。医師も点滴で元気になりますのでっておっしゃっていますので。あまり落胆しないで。離れている分、心配が大きくなると思う。昨夜のこちらの3人も、ショックで、気が動転しててきつい言葉になって志穂を傷つけたね。ごめんなさい。昨日はみんな言葉選びの余裕がなかったね。」

私も3人をたくさん傷つけてしまった。そうすることで、不安から解き放たれたかったけど、そんなことが叶うはずもなかった。謝るために、母に電話をかけた。そして、昨夜のそれぞれの本心を話した。

母「私が先走って、おじいの外出の日の志穂の予定を聞いちゃったから、期待させちゃったね。ごめんね。志穂はおじいに会いたいんだよね。よく分かってるよ。私とおばあは、帰ることで志穂にショックを受けて欲しくないとも思っちゃったんだ。志穂が心配になったんだよ。たぁ(叔母)は、おじいの気持ちになると、志穂が来るということはもう終わりなのかなと悟るんじゃないかって心配だったんだよ。それも大きな優しさだよね。どれも本当の気持ちだよね。全部が素直な気持ちなんだよね。どの気持ちも、分かるよね。みんな、根本は同じなのよ。心配だし、怖い。ただ、現れる言葉が違うだけ。みんな気持ちは一緒だよ。一緒。分かるよね。ね、私たちが一丸となろうよ。お願い。」

私は、「うん…うん…分かる。」
としか言えなかった。
3人の気持ちも分かるし、誰も間違ったことは言ってない。

それぞれが、お互いを思いやるからこそ、出た言葉だ。
こんなにもみんなを考えさせてしまって、誰よりも私が、大人にならなければいけないと思った。

母「友達が具合悪いときに、行こうかどうか迷うよね、迷惑かなって。具合悪い姿を見せたくないかもしれないって思うもんね。差し入れしても自己満かなっても思うもんね。」

たしかに、そう思ったこともある。会いに行くことが必ずしも正しいとは限らない。

このエッセイを書くようになって、色んな方々からお話を伺うことが増えた。
「後悔のないようにね。会えるうちに会っておきな」と、言われることも多くて、会いに行けるうちに行くことが、私のやるべきことだと錯覚していた。

でもそれは、祖父のためだと思い込みながら、結局は自分のためだ。それが、うちの家族の言う、自己満の意味だ。

「会わない、という選択も人情。」
今になってそう思う。

母「来週の月曜、外出する予定だったけど、そのまま自宅に帰るそうで。自宅で最期を迎えたいと。本人も感じるものがあるのだと思うよ。」

病院では、誰にも会えない。コロナの関係で、面会は例外なく難しい。自宅で家族に囲まれて最期を迎えたいというのは、祖父の望みなようだ。

母「みんなの心を汲み取って、手紙書いてよ。それが今みんなが喜ぶことだと思う。」

私にできることは、手紙を書くということ。
祖父には、私から、人生で最後となるであろう手紙を。
他の3人にも自分の思いを書き綴ろうと思う。

母と切った後、祖父に電話をかけてみる。

「おー志穂さん」
なんだかぼーっとしたような声で、怠そうだ。

私「入院してからどう?」

祖父「病院は退屈か〜、誰にも会われんとだもん。1人部屋で、喋る人もおらんけんね。もう来週家に帰るとたい。でも志穂ちゃんがこがんやって電話してくれるけん、ありがたかー、ちゃんと自分の言葉で喋れるけんね。」

とにかく、人と話をするのが好きな祖父にとって、誰にも会えない1人部屋の病室が退屈なようだ。

祖父「倦怠感が取れる薬はなかとだろうね、コロナでもみーんな倦怠感、倦怠感て言わすでしょうが。もうちーっと元気にならんばあからんね(もうちょっと元気にならないとダメだね)」

とにかく身体がだるくて、思うように動けないようだ。

祖父「仕事はどがんかい?薬局長てな?大丈夫かい、薬局は…心配たい。まあ、そばってん、大したもんたいな。(仕事はどう?薬局長なんだって?大丈夫かな薬局は…心配だよ。まあでも、大したもんだね)」

私なんかに任せて大丈夫かと、笑っていた。仕事は頑張っているつもりだけど、いつまでもこう心配させていてはいけないなと思う。早く安心してもらえるように、一人前になる努力をもっとしないといけない。
祖父に大したもんだと言われることは滅多にないが、たまにこう言ってもらえるときは、飛び上がるように嬉しい気持ちになる。きっと、私の母や叔母もそうだと思う。

私「いつか良いタイミングで帰れればな〜と思ってるけどどうしよっかなあ。」

祖父「正月休みとかならよかばってん、あた仕事があるでしょうが。来るならたかちゃん(叔母)と日にち合わせて来れれば一番よかたいな。おじいのことはあんま気にせんちゃよか〜」

会いたくないわけではなさそう…かなと思ったけど、見ていないのでもう分からない。言葉だけ聞いていると、休みの心配をしているようだけど、本当は私に見られたくないのかもしれない。それとなく聞いてみたけど、やっぱり正解は分からなかった。

祖父「うん、まだ死なんよ。あたがちゃんと嫁に行くまで死なんて言ったでしょうが。あた一人っ子だけん、自分の分身がおったほうがよかたいな。でも東京で子育てして暮らしていくというのは大変ね。」

私のこの先を心配しているようだ。人生についても色々と考えさせられる。

祖父「家で、おばあが寂しがっとらすと思うけん、志穂が電話してやってよ」

祖母が寂しいのではと心配していた。81歳になってまで、思い合えるこの夫婦はとても素敵だ。祖父に言われた通り、祖母にも後ほど連絡をしてみよう。

叔母には電話が繋がらず、昨日のことを謝るラインだけ入れておく。「会いたい」と思う、自分の気持ちしか考えられていなかったこと。
叔母や、周りのみんなが様子を見て、帰ってきていいと言ってもらえるタイミングが来たら、その時に帰らせて欲しい、と。

叔母「みんな心配な気持ちはおんなじで、よくわかっているから、私が言ったことで志穂ちゃんが心病む必要は全然ないからね!それだけは、言っておきます。わたしは、今のリアルな状況をできるだけそのまま伝えているだけだからね!ほんと、そこはご理解くださいませ」

大丈夫、全部分かってるよと、そのラインの文面を見ながら頷いた。

祖母の家に電話をかけてみる。今、祖母は1人で留守番をしているらしい。
この頃私は、職場の最寄りの駅に到着していて、職場から少し離れた場所にあるベンチに座っていた。頭上には大きな木があって、落ち葉がハラハラと舞い、切ない気持ちにさせる。冬はもうそこまで来ているのだと、足元に散らばったたくさんの落ち葉を眺めながら思う。

祖母「昨日はね、みんな気が動転しとったと。本当のことを言うと、他の臓器にも転移してるのよ。昨日3人で入院を見届けてから、涙ながらに喋ってて…。とにかくショックなのよ。志穂ちゃんにいつまっでん(いつまでも)言わんともかわいそかけん、ここで今言おうって思ったったい。でもそれが本当のことなのよ。だけん私ももう、覚悟してる。志穂ちゃんの気持ちも本当にみんながよくわかっとる。みーんな、志穂ちゃんを心配しとるとたい。それでもやっぱり、こういう状況で、ピリピリイライラするのよ。こういう時は家族であってもね。色んなことを言わんじゃおられんとたい(言わないではいられないんだよ)。でも私は、ママも、たかちゃん(叔母)も、志穂も、赤ちゃんのときから見て育ててきた。あたたちを心から慈しんできた。これからもそれは変わらんて。どんなことがあっても、慈しむと、あたたち3人には言い聞かせたいとたい。志穂ちゃんが帰ってくるのはみんなが嬉しいとよ。そして今も、志穂ちゃんの声を聞くと安心する。本当のことを言うと、私は帰ってきて、会って欲しいとよ。でもやっぱり、心配もあるけんね。」

どんなことがあっても私たちを慈しむと、祖母はそう言った。
家族を愛するその想いを、祖母が口にすることなんて、今までほぼなかった。
家族を頼って、祖父がいないと本当にダメで、1番の強がりなのに1番弱いように見えていた祖母が、私たちを慈しんでいると、力強くそう言ったのだ。

覚悟している。そう言い聞かせているように聞こえた。

祖母「今日お見舞いに行けたけん少し話せたよ。でも、はっきり私に訴えてきた。病院は俺には合わんて。人にも会われん、自分は最後は家族に囲まれていたいて。はっきり言わしたとよ。」

最後まで、家族の近くにいたいと、祖母に祖父は訴えたそうだ。祖父の終わりへの覚悟を、この訴えにより、祖母は決めざるを得なかったのだと思う。

祖母「これから仕事でしょう?あた、また涙声のようだけど。顔ばしっかりしていかんと、仕事に私情は持ち込んだらいかんとだけんね。」

落ち葉の上に、自分の涙がポトポトと溢れていた。
私情は仕事に持ち込むな。これは祖母の言いつけだ。

電話を切り、無理矢理気持ちを切り替えて職場に向かう。
どんなに辛くても、今日もいつも通りの笑顔で、淡々と。