【連載エッセイ⑬×大坪志穂】祖父のガン闘病と命の選択~緩和ケア病棟へ入院す~

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退院し、家に帰る予定だった祖父。
でも帰る直前になって緩和の病棟に空きが出たということで、一般病棟から緩和ケア病棟に移ると本人が言ったそうだ。

本当にどうしようもなくなったときに、いざ緩和ケア病棟に入ろうと思っても入れないかもしれない。ならばこのタイミングで移ると、決めたのだそうだ。


聞いたところによると、コロナの関係でお見舞いは週に1人2回まで、時間制限もあるらしい。もしかしたら私が帰っても、会えないかもしれない。

そんなことを母から電話で聞きながら、「あとどんくらい生きれるんかなあ?」
と、聞いてみた。

母「なんとも言えんらしいよー。はっきりとは分からんて。」

知っているんだろうなと思った。
たぶん、私に気を遣って言わないだけかな、と。

私「はっきりとは分からんけど、どんくらいて言わしたと?」

母「……。」

私「病院の人に聞いたとだろう?(聞いたんでしょう?)」

母「……聞きたいの?」

私「知っておいた方がいいから。」

母「……年は越せないかもって。」

年末まであと2ヶ月。
この間ハロウィンが終わったばかりで、ここからの2ヶ月は毎年すぐ過ぎ去るんだろうけど、今年のこの時期に感じる感覚は、例年とはまるで違う。

年末、一気に和の雰囲気になるのが私は好きで、門松や締め飾りを見ながら、日本中が和の年末モードに入るとき、いつもわくわくする。
クリスマスから急にスイッチが切り替わり、日本の伝統の空気を、街中の至る所から感じるのだ。

でも今年は違う。
年末になるのが怖くなった。
祖父と紅白を見て、行く年来る年を見ながら、おめでとうございますと言っていた思い出が蘇る。
もうそれが、できないかもしれない。

年を越せば、1月生まれの祖父と私は、またひとつ年を取るはずだった。一緒に年を重ねる、それすらも、もう叶わないかもしれない。

それから3日後、叔母から連絡が入る。

「一回帰って来れる日ある?早い方がいい」

こう言われるということは、だ。もうそろそろ、危ないのかなと思った。
生きているうちに、会えるのはこれで最後かもしれないと覚悟を決め始めながら、せめて、ここに書き綴って準備した手紙だけ、直接手渡ししようと思った。
4日後の休みに合わせて、日帰りで飛行機を取った。

それを聞いた次の日、東京に少しだけ戻ってきていた叔母に会った。

書いた手紙を叔母の分だけ手渡しする。まだ読まずに、帰ってから読むようだ。
別れ際、叔母はこう言った。

「明々後日、志穂ちゃん帰るでしょう。それが志穂ちゃんが会える最後の日になるかもしれない。今日、おじいに電話したらね、冗談かもわからんけど、「俺はあと10日もつかな〜」って言わしたったい。そのくらいしんどいんだろうね。悲しいです、私も。ほんっとに痩せちゃってね。明日また私は帰って、先に待っとくからね。明々後日気をつけて来てよ。」

じゃ!!と私があげた手紙を持った手を大きく振って駅に向かう叔母。祖父にリクエストされた、椎茸昆布を上野に買いに行くと言っていた。食欲がなくなり食べれなくなった祖父が、元気な頃から好んで食べいたつくだにだった。

叔母へ渡した手紙には、こう綴っていた。
………………………………………………………………

たあちゃん

この間は、心配な気持ちばかりで冷静になれず、強い言葉を使ってごめんなさい。自分が、おじいに会いたいと思ってばかりで、たあちゃんや、みんなのことが考えられていませんでした。

この数ヶ月、おじいとおばあの近くにいて、見守ってくださってありがとうございます。近くで見ているたあちゃんは、おじいが、ガクッと弱ったことにも、少しずつ変化していることにも気付き、辛く思う日もたくさんあると思います。それでも、これがリアルなんだと、私に伝えてくれてありがとう。

たあちゃんは、誰よりも現実的に判断し、私たち家族が選択に迷うことなどあれば、最善と思われる判断を下してくれます。私たちがじっと考えすぎて迷ったり、頭では分かっていても行動に移すことが怖くてできず、もたもたとしているとき、グッと引っ張って、動くきっかけをくれます。

おじいがいれば、私たち家族はおじいの進む方向に進み、みんなが同じ方向を向くことができます。今まで、そうやってきました。
でももし、おじいがいないという世界が来てしまった時、私たちは途方に暮れ、どこを見て進んだらいいか分からない、抜け殻のようになってしまうかもしれません。

そういうとき、たあちゃんの、その行動力に助けられることがこれからもたくさん、あると思います。
淡々としているように見えて、家族のことをたくさん考えていて、大きな優しさを持つたあちゃんに、甘えてしまうこともあるかと思います。私達もちゃんと、自分ができるだけの力で頑張るので、おじいの血を引き継いだその判断力で、家族を導いて欲しいと思います。

忙しいのに、大変な思いをさせてごめんね。
これからもずっと、私たちがおじいの生き様を覚えておこうね。

志穂
……………………………………………………………

その夜、手紙を読んだ叔母からLINEが届いた。

しほちゃん

お手紙有難う。
こんなふうに手紙を書くのも辛かっただろうし、とにかく忙しい毎日なのに、私のために時間を裂かせてごめんね。いろいろと余計な気を使わず、ほんとに、気にせんでよかとよ〜。
志穂ちゃんの気持ち、とてもよくわかっていますので、何があっても私たちの関係は大丈夫ですよ。私もいつも本音で話をしてるので、しほちゃんもこれからも遠慮はいりません(笑)。

私はほんとはっきりとした性格だし、時には言葉を飾らず、そのまんま伝えてしまうタイプの人間なので、相手を傷つけてしまっているのだと自覚しています。
だけど、私ももういい大人だし、そこを変えることもできないし、変えるつもりもなくて。器用なようで案外不器用なところがあります。
なので、たぁちゃんはそんな人、と思って付き合っていてくださいね、今後も。

そうですね。。。
親を失うことは、自分でもこんなに辛いんだー、と我が身になった今、日々改めて思い知っています。本当に想像以上に辛く悲しいです。
お父さんは私が子供の頃からとにかく元気な人だったし、精一杯仕事して、楽しむことも精一杯な、明るい太陽みたいな人だったので、何というか、今の弱々しい姿があまりにも変わりすぎて、ですね、ほんと辛いです。
なんとか本人の前では平静を装っているのですが、本人が一番辛いと思うと、これまでにない悲しみに私も襲われます。
まぁ、でもがんばらんといかんです、残された私たちは。
私は、孫のしほちゃんにまで、とても心配をかけていて申し訳ない気持ちもあります。
だけど、お父さんも父親のようにしほちゃんを自分が育ててきた気持ちでいるので、以心伝心、二人の間にしかわからないこともたくさんあるのでしょう。
私とお父さんと、しほちゃんとおじいでは、また違う、素敵な関係がそこにありますね。
羨ましく思います。
明々後日、待っていますね!
私は一足先に明日、戻ります。
しほちゃんも引っ越しもあるし、気持ちが落ち着かないと思うけど、切り替えて、仕事は仕事、心配ごとは心配事、引っ越しは引っ越し〜という感じで、うまく、体調を管理してね。
お互いに、無事、乗り切りましょう!

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言葉は多く返信しなかった。
伝わりすぎて、軽くは捉えられない言葉がそこにはあった。
ありがとう、とだけ伝えた。

明々後日、残りの手紙を持って会いに行く。
祖父、祖母、母への手紙。
自分で手渡して伝えたい、今の私の気持ちを持って。