【連載エッセイ⑩×大坪志穂】祖父のガン闘病と命の選択~突きつけられた厳しい現実~

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2021年、夏の終わり頃のこと。母、叔母、私の3人で顔を合わせる機会があった。

叔母が集合場所に派手なTシャツを着て現れた。Tシャツの胸元には大きく祖父の似顔絵が描いてある。またその似顔絵の傍に、「がんばるばい チーム孝二」という文字が書かれていて、背面には背番号52番がプリントされていた。どうやら祖父の名前であるコウジからとったらしい。

このTシャツは、母の発案で祖父を励ますために叔母が手配して作ったと聞いた。そして私にもこのTシャツが準備されていた。

また、その日はちょうど祖母の誕生日だったので、このTシャツを3人で着て、祖母へ誕生祝いのメッセージを動画で撮影して送ることにした。

「緊急事態宣言が解除されて涼しくなったら、またみんなでどこかに旅行に行こうね!」

「またたくさんお喋りしましょう!元気でいてね。」

など、私たち3人は祖母と祖父へ向け、思い思いのメッセージをその動画にのせ、家族のLINEグループに送った。

この時の私たちは、この動画に込めた思いが全て叶うと信じていた。

そしてこの日の1週間後。夜中の1時半過ぎ。今、私はこの原稿を書き始めている。

これからきっと、私の感情は目まぐるしく動くことになるだろう。

正直、文字にするほど気持ちは落ち着いていないが、今起こっていることは、私の人生において忘れてはいけない一瞬であるはずなので、ここに記すこととする。

今日のことだ。21時頃、私は1人で家にいた。母と叔母とのグループLINEに、母からメッセージが入った。

「来週、再来週でお休みが取れそうなところありますか?」

約半年前の祖父の余命宣告の時と似たような、あの嫌な感覚……。

「何かあった?」

私はすぐに送ったが、返事はすぐに来ない。音のない部屋の中、自分の鼓動だけが大きく聞こえる。どんどん早く、大きくなるのが分かる。喉のあたりに心臓があるような感じ。正直その先の返事を見たくない。返事を待つ2分くらいがやたらと長く感じた。

色んなことをこの2分で考えてしまう。なんとなく話題がわかっていたのかもしれない。何も察していないと思い込みたかっただけかもしれない。

半年前の余命宣告では、1年〜1年半と言われていたがまだ全然そんな時間は経ってない。そうだ、違う、何か祖父のこととは違う話のはずだ。

「おじい(祖父のこと)が急に弱ってきたので、早いうちに一度会っておいてほしくて」

茫然とするってこういうことだと思う。虚無感というか、何も考えられず、ぽっかりと胸から何かが抜け落ちた感じ。返事を送ることもできず、どこか遠くを見る目からはひたすら涙が溢れてくる。

続けて、2人から、あの、チーム孝二Tシャツを持ってくるように言われる。みんなで着て元気づけようと。

Tシャツの出番って?

本当に祖父の話か?

混乱して頭が追いついていなかった。

先週、私は祖父とは何度か電話で話したし、いつもと変わらない声を聞いていた。

急に弱ったなんて、全く信じられない。私はしっかりとした祖父の声を聞きながら、一緒に笑ったはずだ。つい数日前の話だ。

母から、現状が細かく送られてくる。

癌に対する薬の治療は昨日でおしまいで、これから在宅医療になること。

食欲が落ち、5キロくらい痩せたこと。倦怠感がひどいけど、痛みはないこと。

急に弱ってしまい、本人も戸惑っていること。

「あと2、3年はこのまま生きられる!生きたい!と思っていたから……」と母は言った。

戸惑ってしまう程、そんなに具合が悪いのか?状況が全く信じられなくて、「そんなに具合悪いの?そんなに弱っているの?そんなに……」

先週、母に会ったときは、痩せたけど一人前は食べるとしか聞いていなかった。ここ数日で急にこうなったのか、はたまた私に心配をかけまいと、徐々に弱る姿について母が口にしなかったのか、真意は私には分からない。母は、弱る祖父を見ていながら、私の前では気丈に振る舞っていたのか?もし、本当にここ数日で急に弱っていたのならば、目の前で見る祖父の姿に、ショックを受けているはずであり、今どんな思いでこのLINEを送ってきているのだろうか。母のことを思っても胸が張り裂けそうだ。

「頭は変わらずしっかりしているよ。はがいかーって。」

「はがいか」とは、方言で、「歯がゆい」という意味だ。悔しい、もどかしい思いが大きくなっているのだろう。

頭がしっかりしている分、自分が今どういう状況なのかも、よく理解していて、でも身体がついてこないことがとてももどかしいのだ。

「今、お父さんは生きているうち、精一杯生きろと教えてくれている」と叔母。

私「はがいかーっていう意味がすごく分かって……」

母「はがいかねーって返すしかなかったよ。うん。はがいかよ」

叔母「みんな、はがいかよ家族は」

私たち家族には、祖父の言う、「はがいかー」の一言に含まれる気持ちが痛いほど分かる。

それを思うと、胸を締め付けられて、悔しくて、悲しくて、どうにもならない思いが溢れてくる。分かりすぎて辛いねと、3人が口を揃えていた。

今日、母が祖父に会って、第一声がその、「はがいかー」だったそうだ。

これが本音だねと、母は振り返る。祖父の思いは揺れ動いているようだった。

母「納得しようと言い聞かせたり、でもまだ生きたいって言ったり。ゴルフとか海外旅行が楽しみなのに両方叶わんなら楽しみがないと嘆いたり。コロナが俺をいじめた、と言ったり……」

こんな祖父の言葉を、直接聞いていた母の苦しさはどれほどのものだっただろう。

私「ありがとう、辛いのに文字にして教えてくれて」

母「見えない方がよっぽど心配だよね、とにかくしっかり支えていこう」

実際に祖父を見ていても、見ていなくても、辛い。本当に。今改めて家族みんながそれぞれの立場で必死で向き合おうとしている。

コロナは常に行動していたい祖父に不自由を強いていたし、楽しみや希望を奪ったに違いない。確かに、コロナがなければ元気なうちに祖父と色んなところに行けたかもしれない。祖父の気力がもっと保てていたかもしれない。コロナが俺をいじめたと聞くと、やり場のない恨みだけが募る。

そしてこのコロナのせいで、祖父が入院したら私達が会うこともできないかもしれない。全員ワクチンは打ち終わっているが、それでも会えないかもしれない。

しばらく自宅で看たい。それが難しくなり、病院に行かなければならなくなったその時、顔を見に行くことさえも拒まれてしまうのだ。残酷すぎる時代。

そうなる前に、とにかく早く会わないと。

4日後の仕事の休みに合わせて、日帰りで飛行機を取った。祖父の具合が日に日に悪くなるのも怖いし、私にとっても家族にとっても、ここから先は未知の時間だ。

「志穂さんがちゃんとやっていってくれとるけん、子供と孫に心配事がなかていうとは幸せたい!」祖父は今日、そう言っていたらしい。

なんだ、急にそんなことを言い始めて。そんな言葉ではなく、私はただ、まだ大丈夫だと言って欲しかった。

自分の泣く声だけが部屋に響く。

どれだけ話を母から聞いても、信じられない。でも、実際に毎日母の目で見ていることが現実だ。どれだけそんなはずないと思いたくたって、それが現実なのだ。

叔母は、落ち着くまでしばらくは熊本にいるらしい。

私は2日後、日帰りで会いに行く。自分の目に映る祖父や家族の姿。覚えておく、全部。

私たち家族の思いと、祖父の生き方を。