【連載エッセイ⑯×大坪志穂】祖父のガン闘病と命の選択~通夜の日~

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お通夜の日の朝。

叔母(根津孝子)「なんだか心が折れちゃった。エッセイのつづき、よう書かんわ。志穂ちゃんごめんね、任せた…」と、申しておりました。
近くでずっと祖父を見ていた叔母は、文字にするのが今は難しそうです。
もしかしたら、これから時間が少し経ち、書くかもしれませんが、もしかしたらそれももう、しないかもしれません。

だからというわけではありませんが、引きつづき私は記しておきたいと思います。

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通夜の朝、私は祖母の美容院に付き添った。

母や叔母は、朝早くからの葬儀の準備や参列の方々の対応に追われていた。

やることがたくさんある中でも、祖母は朝から美容院に行きたいと言うので、なんで今美容院に行かなければならないのか聞いてみた。

祖父「お父さんがね、いつも綺麗にしときなっせよと言わすとたい。髪と、服。それだけはいつもいつも言われとった。」と祖母。

目立ったことはせず、上品に整えて、美しくいろと言っていたそうだ。今日もそれを守り、祖父のために整えるらしい。

美容院を終えた祖母を、お迎えに行き、葬儀場に戻る。お通夜の準備が進んでいて、祖父の写真の周りには、色とりどりのとても綺麗なお花がたくさん並んでいた。

祖父の写真は、いつもよりちょっと緊張しているような顔つきだった。
「キリッとして、よかおとこさん(いい男)でしょうが」と、祖母は言っていた。

母は、会社関係の方々の対応で忙しそう。

まだガランとしている会場の親族席に座り、
祖母「やーこんなに早く送らなんとね、なんかぼーっとしちゃうね」

叔母「あの祭壇で、写真になっているお父さんは想像してなかったね」

と言いながら、私たちはお花に囲まれた祖父をぼんやりと眺める。本当に信じられない。肉体はそこにあるし、送り出す感覚はまだ全然なかった。

この日の熊本のコロナ感染者も0人だったが、お通夜もお葬式も、「家族葬」としていた。
それでも行っていいですかとたくさんの問い合わせが会場にあったそうだ。

葬儀の後も、祖父に会うための行列が途切れることはなかった。
入り口に立ち、私達はお見送りをしていたのだが、人の波はずっとずっと耐えることなく、祖父の人望に私は驚いた。
規模を小さくと打ち出したものの、それでもたくさんの方が来てくださっていた。

いろんな方が、祖父との思い出を語ってくださった。
私は家で家族といる祖父しか知らないため、職場でのことや、昔のお友達とのことを知るのはとても新鮮だった。
私の知らない祖父を知り、たくさんの方に愛されているのだと感じた。

ワンマン社長のように見えて、誰よりも人を見ていたそうだ。
少ししか会っていない方々の、名前や顔をすぐ覚えていたらしい。
親子3代で、仕事で祖父にお世話になったという方もいた。
仕事が大好きで、仕事のため、従業員の皆さんのために生きていた。

亡くなる1週間前まで出社し、2時間の訓示を立派に述べていたそうだ。
そこで見た従業員の方々は、祖父の死が信じられない、と口々にしていた。
先週まで饒舌で、元気そうだったのに、と。
辛い姿を、会社の皆さんには見せようとしていなかった。
ちょうど、訓示を述べた日の翌日の夜、
母の夢に祖父が出てきて、母の方にぐったりと倒れてきたそうだ。
「ああ、そろそろ危ないのかな」と、母は思った。会社で立派に勤めを果たしたその裏で、身体は限界を迎えていた。

仕事を終えて、祖父の元へ駆けつけてくださる方もたくさんいて、夜までずっと誰かしらが祖父に会いに来てくださった。
祖母の話を、職場ですることもあったそうだ。

明日はお葬式。祖父のあの肉体が、この世から無くなるということはまだ考えない。
私は手紙で、祖父に想いを伝える。