【連載エッセイ⑰×大坪志穂】祖父のガン闘病と命の選択~葬儀~

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祖母「お父さん、いよいよです。あっけないですねえ。」

お葬式の日の朝、そう祖父に話しかけているのを私は見ていた。
この身体が今日、無くなってしまうのかと思うと、連れて行かないでと言いたくなった。

葬儀場の方から、御膳が出され、これが祖父と家族揃って食べられる最後のご飯だと言われた。

祖父は、ガッツリお肉!といった食事が好きだったため、精進料理について、
「最後とはいえ、好きなお肉はないけどね」と、みんなで笑っていた。
しんみりと食べるのではなく、あくまでも最後は我が家らしく賑やかに。今までの思い出話をしていた。

今日も感染者0人とはいえ「家族葬」にしていたのに、会場に人が入り切らず、会場の外にまで椅子が並べられていた。思った以上に多くの方が、祖父にお別れを言いに来てくださっていた。

式が始まるまで、暇さえあれば、私は祖父の顔を見に行った。

おじい、こんなにたくさん来てもらってありがたいねと話しかけ、後でお手紙読むから聞いててよと言った。

葬儀は、しめやかに執り行われた。

お経を聞きながら、昨日の通夜で、お坊さんが、「ただ亡くなるのではない。大切な命を生き抜いたのだ。残された我々も、自分の命も大切に生き抜かなければいけないということを、思い出させてくれている」と仰っていたのを思い出しながら、今すぐではなくてもいつか、そう思えるようになりたいと考えていた。

手紙を読むために、私の名前が呼ばれた。

会場全体に一礼した後、祖父の正面に立つ。
祖父にも一礼をして、写真をじっと見つめる。

もう泣かないと思って立ったが、祖父の顔を見ると、読む前からどんどん涙が溢れてきて、声が出なくなってしまった。
緊張ではなく、悲しみで、心の底から私の体全体が震える。この感覚は人生で初めてだ。
しばらくその場で立ったまま、黙っていた。
そして静かに語りかけた。

…………………………………………………………………

会いに行って、この手紙を手渡ししようと思っていましたが、あと1日…あと1日、間に合わなかったね。

「なんば言いよるかわからん(何と言っているか分からない)」
と、言われないように、頑張って最後まで読むので、聞いていてください。

おじいの孫に生まれ、そろそろ29年が経とうとしています。
この間、おじいは私に、「我が家に生まれてよかったかい?俺はそれが聞きたかった。」と言いましたね。あのとき、頷くことしかできなかったけれど、心から、ママの子に生まれて、おじいの孫に生まれて、本当によかったと思っています。
一家の大黒柱が、他でもないおじいだから、そう思うのです。
1人孫で、昔からたくさん可愛がってもらいました。どこかへ旅行に行くと、「おじいが死んでも、ここへ連れてってもらったな〜って覚えときなっせよ」と言ったり、何か大切な話があったときには、「今はわからんかもしれんばってん、おじいがあのとき言いよらしたな〜って、いつか思い出すときが来る」と言ったり。小さい頃の私は、おじいはいつもこうやって、何を言っているんだろうなーと思っていましたが、今になって、言っていた意味がよく分かります。
家族で大切に紡いだ時間を、いつになっても覚えておくことで、お守りのように私にパワーを与えてくれる記憶となっています。
私を想って伝えてくれた言葉が、少しずつ積み重なり、私の生きる指標になっています。
おじいがいなくても、こうやってこれからの道を歩きやすいように、色んなことを伝え続けてくれていたのかなと思います。
まあ、おじいは、そんなに深く色々と考えず、あちこち連れて行ってあげたんだぞ、よく覚えておくんだぞと、ただ言っていただけなのかもしれないけどね。

おじいが周りの人に愛され、大切にされるのをずっと見てきました。おじいがいるだけで、不思議と周りも一体となれます。輪の中心には、いつもおじいがいます。そんな風に、周りを惹きつける力があり、さらに、おじいが心から私たちを想ってくださるのが分かるから、みんなで同じ方向を向けるのかもしれません。

そんなおじいに、言われて嬉しい言葉の一つに、「志穂は大したもん!」があります。
私の大好きなおじいに、大したもんだと褒められると、本当に嬉しくて、頑張ってきたことは間違いじゃなかったと、自信を持つことができます。これからも、おじいに「大したもんね」と言ってもらえるような人生になるように、頑張るね。
何か大切なことを決めるときには、いつもおじいの一声がありました。私の色んな決断に、おじいの言葉が響いています。おじいにお話を聞かないと不安だから、何か道に迷ったときには、また教えて欲しいな。
おじいの孫に生まれたことを、心から誇りに思います。この家族の一員でいられることは、私の人生において、宝物です。私たちを大切に想い、おばあと一緒にいてくれて、ママやたあちゃんを育ててくれて、志穂を可愛がってくれて、本当にありがとう。
おじいの想いはたくさん、伝わっているからね。

この手紙、お話できるうちに渡せなくてごめんね。ちょっとだけ、間に合わなかったね。

昨日も今日も、たくさんの方々においでいただいて、おじいがこんなにも皆様に親しまれていたのかと、私は本当にびっくりしています。

最後の日まで、どんなに身体が辛くても、洗顔もトイレも自分一人で済ませていたそうですね。
家族に手を煩わせたくないという、その強い思いとかっこよさに、本当に立派な人だったなあと、みんなで何度も話していますよ。

眠りについた直後には、空に大きな虹をかけてくださったそうですね。
「キラキラして、とっても綺麗だったとよ」
と聞きました。
どこまでも伝説を残していく、私の自慢のおじいです。

おばあに対して、あたが嫁に来てくれて、60年連れ添ってよかったと、生前に伝えてくださっていたそうですね。その言葉が、どれほどこれからの励みになる、と、その言葉を大切に思っているようですよ。

おじいが大好きだった都会の景色を見て、毎日歩いた街の景色を見て、たくさんの時間を過ごした場所で、私達はおじいを思い出します。

ずっと忘れないよ。本当にありがとう。

志穂

………………………………………………………

ちゃんと聞いてた?そう心の中で語りかけ、祖父に手紙を渡す。
会場からは、至る所から鼻をすする音が聞こえた。

母が、喪主の祖母に代わり、挨拶を述べた。
娘として、部下として、祖父と関わった日々を振り返り、涙していたが、
残された自分たちで、祖父の思いを繋いで行こうという決意も見えた。

祖父も、娘である母をたくましく思い、見守っている気がした。

お見送りのために、親族で入り口に移動する。

「50年生きてきて、1番心に響く手紙でした」
「おじいちゃんにきっと、伝わってるよ」
「あたの手紙に、泣かされたわあ」
「よう頑張ったねえ」
「志穂ちゃんの手紙が沁みた…。」

初めてお会いする方々にも、親戚にも、お見送りをしながらこんなにも素敵な言葉をたくさんかけていただいた。

祖父の代わりに、「大したもん!」
と言ってくださる方もいて、祖父の周りの皆さんは本当に温かい方々ばかりだったのだなと感じた。

悲しいお葬式のはずが、温かい気持ちにさせてくれる祖父は偉大で、
やはり人を愛し愛された、人生そのものが垣間見えた式だった。