【連載エッセイ⑭×大坪志穂】祖父のガン闘病と命の選択~祖父の死~

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明日、私は熊本に日帰りする日だ。どんな様子かなと気になって、母と叔母との3人のLINEにメッセージを入れる。

私「明日帰るけどどんな様子かしら」

母「志穂さん、今日亡くなりました。」

私「うそでしょ?」

突然言われてもよく分からない。
間に合わなかった。
あと1日、間に合わなかった。
あと1日だけ…。
間に合わなかった。

このエッセイを書きながら、色んな方にお話を聞き、残された方々の後悔をたくさん聞いた。

自分は、後悔したくないと思っていたけどやっぱり、後悔はするものだ。
きっと、なにをどうしていたとしても、後悔はするのだとは思うが、とにかく悔やまれる。

母に提案されていたように、手紙を生きてるうちに送ればよかった。
もっと電話すればよかった。
1日早く、会いに行けばよかった。
そんなことを考えているとキリがなくなる。

とにかく、明日からの仕事に迷惑をかけないようにできる限りの手配をする。
自分の感情には目を向けず、仕事は淡々と。

この段階ではまだ、何が起こっているのかよく分からなくて、何も考えられなくて、ひたすら仕事をするしか私にはできなかった。この日、仕事をしていなかったら、自分はどうなっていたのか、想像もつかない。
亡くなったとは聞いたけど、思ったよりあっさりとLINEの文面で聞いたし、あまりに突然すぎて、現実に起きていることだとは全く信じられていなかった。
悲しいのだけれど、理解してないから悲しみきれていなくて、その理解をしようとする時間すら作ろうとしなかった。
どれほど辛いことが起こったのか、考えないようにと、無意識に身体がそうさせた。

翌日、元々取っていた、朝早い飛行機に乗る。
早く会いたいと思って、1番早い飛行機を取っていたのだけれど、どれだけ急いでも、もう会うことはできない。
熊本に着いたら、外は珍しく土砂降りだった。「生きとるうちに会われんだった」と、祖父が泣いているのかなと思うと、外を見るのも嫌になって目を逸らす。

昨日、母と叔母から今日の段取りについて聞いていたはずなのに、私の記憶はびっくりするくらい丸ごと無くなっていて、
空港に着いたはいいものの、どこに行けばいいのか、何を持っていくのか、何をするのか、全部、分からなくなっていた。平然を装っていても、そのくらいたぶん混乱していて、昨日も今日もとにかく頭で何かを考えることができない。

もう一度、向かうべき場所を聞き、1人で向かった。雨がひどくて、昼前なのに空がとても暗い。
祖父がどんな姿なのか、想像もつかない。まだ何も現実味がなくて、すごくぼーっとしている。

 
葬儀場に着くと、見慣れた名字と、控室と書いてある部屋がある。
久しぶりに会うのがここだなんてな。

ドアを開け、黒い服を着た家族に出迎えられる。みんな、涙は枯れ果てたような顔だ。なんだか急に現実味を帯びてきた。早速、祖父のいる部屋に向かった。

祖母「お父さん、志穂ちゃんが来ましたよー。志穂ちゃん、ほら顔ば見てやってよ。ね、綺麗かでしょう。ほんっとに穏やかに逝ったのよ。ほんの数分間の話だった。昨日、亡くなる日の朝、たかちゃんに電話さしてからね。志穂は今日来るとかい?いつかい?って言ってたのよ。今日じゃなくて明日かい、そうかいって言ってね。1日ずれて覚えてたのかもわからんね。待って、待って、もう、あたをずーっと待ってたのよね。志穂ちゃんにものすごく会いたかったのは事実。
志穂は志穂はっていっつも言ってたから。」

棺の中の祖父の顔を見ながら、祖母の話を聞いていた。

ごめんね、しんどくても待っててくれてたのに、あと1日、間に合わんかった。ごめんね…ごめんね…。祖父の隣で泣いて、泣き崩れて、もう言葉にならなかった。

いつものいびきが聞こえてきそうなくらい、祖父は穏やかに眠っている。今にも眠そうに目を開けて、「おー、来たかい」という声が聞こえてきそう。

あんまり泣いてると、志穂が心残りで祖父が天国に行けないからと、祖母に連れられ、お昼ご飯に向かう。「手紙、渡せなかった。」そう言いながら、お昼ご飯の席で、母と祖母に、それぞれに宛てた手紙を渡した。

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ママ

この度は、みんなにお手紙を書くきっかけを下さって、ありがとうございます。
おじいのことで、大変な状況ではありますが、ここ最近改めて、この心ある温かい家に生まれてきてよかったと思っています。

ママはやはり、言わなくても私の気持ちを誰よりも察し、言い方を考えたり、じっと待ったり、行く道を誘導してくれます。それに甘えて、自分本意な言い方をして傷つけてしまったこと、本当にごめんなさい。
おじいに会って欲しいけど、元気な頃のおじいの記憶だけを残しておいて欲しいというその思いやりに、感謝します。
もしこの先、会えないままおじいがいなくなったとしても、あの時私が言ってしまったように、会わせてくれなかったとママたちを責めるのではなく、会わないという選択も、自分があげられる最後の優しさだと、そう思えるから心配しないで。

ママは、会社のことで負担が大きくのしかかり、不安や苦労があると思います。それは、おじい自身も、おばあも、心配して私に話してきていました。そして何より、2人とも、ママへの感謝の気持ちをいつも私に伝えてきています。
おばあは、ママをたくさん労ってやってねといつも言っています。私には全て分かってあげられる苦労ではないかもしれませんが、少しでも心が救われるように、力になれればと思っています。

ママが人の気持ちを第一に考えている姿を見て育った私は、自分もそうなろうと思いながら人間関係を築いてきました。その心が伝わると、周りのみんなが助けてくださいます。ママもきっと、皆さんが助けてくださいますので、たまには色んな方に頼りながら、一緒に苦楽を乗り越えてください。

最後に、おじいとおばあの側にいてくれてありがとう。優しく、細かいところにまで気付いて気配りをするママの底無しの温かさに、私たち家族はほっとできます。きっと、おじいもそのはずです。側にいてくれる自分の分身がいることを、とても幸せに感じているようです。
人のために悲しみ、人のために涙を流すママは、もしおじいがいなくなった時、どれほどの虚無感に襲われ、悲しい顔をするのかとても心配ですが、ちゃんと、私たち家族がいます。
一緒に悲しみ、泣き、そしてしばらくしたら前を向いて、支え合っていきましょう。
いつもありがとう。くれぐれも身体は無理をしないでね。

志穂

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おばあへ

ちゃんと、ご飯は食べられていますか?
今、生涯で1番長く、おじいと連れ添っているおばあが、どう感じているのかと考えていますが、私達が計り知れない程の感情でいっぱいなことと思います。若い頃の、私達が生まれる前の、私達が知らない時代の記憶から思い出しながら、今、どんなことを思っていますか。
辛いことや、どうにもならないことも長い人生の中で、たくさんあったと思いますが、何があってもおじいの横にいて、離れることなく、私達を大切に育てて下さり、本当にありがとうございます。

2ヶ月前、おじいが、
「俺がおらんとお母さんはダメだし、結局逆も同じ。色々あっても、お母さんがおるからここまで来れた。結婚して50年以上も連れ添ったんだけん、最後まで一緒たいな。」
と言ったことがありましたね。これを聞いて、おじいは心からおばあを大切に想い、最後まで連れ添えていることに感謝している心が伝わってきました。おじいがいない世界になったとしても、このことはおばあにもずっと覚えていて欲しいなと思いました。

そして、この間、どんなことがあっても、私達を慈しんでいると言ってくださいましたね。家族だからこそ起こってしまうかもしれない、色んな言い合いや、意地の張り合いがもしあったとしても、慈しんで下さるその心に目を向け、私たちは感謝し続け、おばあを大切にします。

いつも、誰よりも家族が大好きで、大事に想ってくれているその気持ちはたくさん、伝わっています。
何よりも、自分の身体を大切にして、少しでも長生きして下さい。いつも本当にありがとう。

志穂

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そして、祖父に宛てた手紙も書いてきたんでしょう、と言われ、棺に入れて燃えてしまうならと、叔母と、祖母が読んでいた。

みんな泣いていた。
そうだね、人に愛された人生だったねと、振り返る。

でもこの手紙を、生きてる時に読んだら、泣いたり、喜んだりして、もっと心臓に負担がかかったかもね。少しの刺激で、壊れそうだったから。
もう終わりかーって、思わせてしまったかもしれない、それはそれで可哀想だったかもしれないね。
そんなことをみんなで言っていた。

この手紙、お葬式で読みなよと提案された。そんなつもりはなかったけれど、それで祖父にこの想いが届くのならと、読ませてもらうことにした。

祖母に宛てた手紙は、祖母が自ら、母と叔母に読ませていた。
「ちょっとあたたちも読んでんか(あなたたちも読んでみて)」
と、言いながらもきっと、私の手紙に書いてある、
「どんなことがあっても、私達3人を慈しんでいる」
という祖母の想いを、この手紙を読ませることにより、2人にも伝えたかったのだと思う。

これから私たちが迷ったり悩んだりしたとき、この手紙を読んで祖父を思い出し、それぞれの家族の想いを感じながら、強く生きる手助けになれば嬉しく思う。

その後、祖父母の家に向かった。
いつも祖父が座っていた椅子には、祖父の姿はない。
この部屋で、私たち4人が喋る声を聞いていると、自然と祖父の声が横から入ってくるような錯覚に陥る。でも、聞こえて来ない、不思議な感覚。
いつもの場所にいるのに、いつもの声がしない違和感。
あの、ワーワーとした祖父の大きな声が無い、この冷えた家の中に、私たちの声がいつもよりやたら通ってしまって、なんだか広く感じる。

祖父はどうしてるかなと、ふとあの椅子を見るために後ろを振り返ってしまう、この変な癖が、ここにいると出てしまって、今もずっと抜けない。

私と、祖父の写真がいつもの場所に飾ってある。
20年以上、ここに飾ってある見慣れた写真だ。
多分、私が小1の頃で、一緒に海にいるところ。
満面の笑みで、こちらを見る祖父。心から楽しんでいて、幸せそうで、私がこんなに小さいときからずっと、今まで見てくれていたんだなと思いながら、まだこの世にいるような感覚になってしまう。またあの椅子を見るのに振り返り、姿のない祖父を探し、じっと見つめる。本当に、いない。

祖父との思い出が詰まったこの家で、一緒に美味しいご飯を囲んで食べたし、怒られたこともあったし、年越しもここでして、色んな大事な報告もしてきた。

死ぬという恐怖をお互いに抱えて、この間手を握ったのもこの場所だった。
ここに来れば祖父に会えるのが当たり前だった。
魂はここにまだ、残っている気さえした。