【連載エッセイ⑳×根津孝子】父のガン闘病と命の選択~エピローグ~

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父への手紙

無事、四十九日の法要が終わりましたね。そちらの世界はどうですか?こちらは少し落ち着いたので、手紙を書くことにしました。うまく届いていればいいのですが。

お父さんが旅立ってからから今日まで、その軌跡を振り返る時間、そしてなんやかんや、やらなければならない作業も多くて、不思議なのですが、生きている時よりもずっと、お父さんと一緒にいる気持ちが強くなっています。

私が幼い時からとにかく仕事が忙しく、たまのお休みはゴルフが忙しくて(笑)、でもなかなか遊んでもらえない分、お父さんと過ごす時間にはいつも特別感があって、とにかく嬉しくて、楽しかったことを思い出します。

亡くなる2ヶ月前頃から急に体力が落ち、食欲が落ちて痩せていったお父さんの姿に、正直私はとても戸惑いました。だってお父さんは私にとってヒーローだったから。

太陽のように明るくて、無敵のヒーローが弱っていく姿を目の前でみているのは本当に辛かったよ。

でも、一番辛かったのはお父さん自身であることもわかっています。思うようにならなくなっていく自分を、はがいか(歯がゆい)、と言っていましたが、もっと生きていたかった、もっと動きたかった、もっとみんなと話をしたかった、もっと食べて…もっと、もっと…と、沢山の悔いを残したままの旅立ちとなってしまったと、その心を察しています。

緩和ケア病棟に入院した日、看護師さんに「自分の選択、そして人生に後悔はありません」と話していましたが、その場にはお母さんも私もいたので、少し強がりもあったのでは?と思っています。まぁそれはそれで、とてもお父さんらしいのですが……。

我が人生をやり残しなく、何の思い残しもなく逝くという人はいないのかもしれませんね。

今改めて、毎日一生懸命全力で生きろよ、とお父さんに言われているようです。

いつも私のそばにいる江戸っ子の大人たちは、「親はただじゃ死なねぇ」と、江戸なまりで威勢よく励ましてくれるのですが、ほんとその通りですね。最後の最後まで、私に沢山の気づきをくれてありがとう。

私の日常はお父さんが旅立ってから少し変わりました。私は以前よりうんと、人に会いによく出かけるようになりました。

出かけた先で会う相手の人は最近お父さんが亡くなったことを知っていたり、知らなかったりするのですが、話の流れでそのことを話すと、親や家族、大切な人を亡くした経験がある人であれば、自分が経験したその時のことや、その時々の気持ちを私に教えてくれます。

みんなみんな、様々な別れを経験していて、その時に生まれる感情も人それぞれで、その一つひとつの経験と感情が、その後、それぞれの人生の肥やしになっているのだと感じます。

なんて非常識な行動だ、と言われることを覚悟で書きますが、お父さんのお葬式が終わった日の夜も、その次の日も、元々約束をしていたお友達に会いに出かけました。(私の性格をよく知っているお父さんだからそんなに驚かないかもしれないし、俺でもそうする、と言うかもしれませんね。)

お父さんが亡くなったことを知らせていなかったので、食事中にそのことを話すと、みんな「えぇー」となってしまいましたが、悲しみに暮れているより、みんなと会っている時はその気持ちを少し横に置いておいて、人に会い、人の話を聞かせてもらうことで私は癒され、これから先の自分の人生について、何かひとつ覚悟のような気持ちをもつきっかけになったように思います。

私を元気づけようと、本を送って下さった人生の先輩もいました。著者、枡野 俊明さんの『人は、いつ旅立ってもおかしくない』という本です。

ページをめくりながら涙で読めなくなることの連続でしたが、読み終えた時、私も大切な人を亡くした人に出会った時、この本ぜひを紹介したいと思い、まずは一番身近にいるお姉ちゃんに贈りました。

友人、知人、人生の先輩や仕事仲間たち……老若男女関係なく、人と関わることから学ぶことは多く、また、自分がそこにあり、生きていることを実感し感謝します。

人が好きで、生涯、仕事でも遊びでも人と関わり続けたお父さんの心の中を巡礼している感覚もあります。

とにかく今は、寂しさや悲しみと同じくらい、お父さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

ガンとわかって旅立つまでの3年間、お父さんの本音、「本当はどんな気持ちで過ごしていたのかな?」と、最近よく考えます。

私はというと、何をしていても、この3年お父さんの病気のことが頭から離れることはありませんでした。

心配な気持ち、というひと言では言い表せない、それはそれはとても複雑な気持ちです。勿論、悪い想像や妄想を膨らますこともよくありました。

私でさえそうなのだから、お父さん自身はきっともっとそうだったのではないかな、と今改めて思っています。怖かったよね、きっと。

最後の最後まで周りの人たちに明るく振る舞い、弱音を吐かず、最後に我が人生に後悔はないと言ったお父さん。

本当に、本当に、ナイスファイトでした。

ナイスファイトなんて軽い言葉、相応しくないのもよくわかっているのですが、今一番お父さんにかけたい言葉が、ナイスファイトなのです。

そして私は、あなたを心から尊敬します。

お友達が私に、「これまでは熊本と東京で会いに行くのも大変だったけど、これからは思った時にいつでも会えるからいいね!」と言いました。

その通りですね。私のことだから時々忘れることがあるかもしれないので、その時は、お父さんの方から、「俺ば忘れんちゃおらんかい?」と、いつでもどこでも出てきてください。お願いします。

2021年も終わろうとしています。

いろいろなことのあった年です。

私の人生において、忘れることのできない年になりました。

残りわずかな2021年、そして迎える2022年も私は精一杯生きます。

なぜだかわかりませんが、血湧き肉躍る感覚を久しぶりに覚えている自分がいて、私は大丈夫だと、そう思えるのです。

空の上から見守っていてくださいとは言いません。なぜならいつもそばにいますから。

これからも、どうぞよろしくお願いします。

ではまたね。

孝子

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読者の皆さま、最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。

振り返ると、なぜこんなに扱うのが難しいことをテーマにしたエッセイを書こうと思ったのか、それは、親を亡くすという経験をしたことのないことに対する、私の恐怖心からだったのだと思います。

書くことで、その恐怖心から少しでも解放されたかったのだと。

書き始めた頃は父がこんなに急に悪くなってしまうなんて思っていなくて、最後の2ヶ月、結局私ができたのは食事の支度くらいでした。無力ですね。

父はいつ死期を自覚したのだろう、そんなことを考えたり、もういないんだなぁとふとした時に思ったり……。

けれど、不思議と悲しみや寂しさよりも感謝の気持ちの方が大きくて、私は今、生きることに燃えています。全力習慣続行中です。

12月27日、四十九日の日に私は熊本にいて、父が乗っていた車を手放しました。手放す前に車内を整理していると、後部座席の背もたれの後ろのスペースにひとつ紙袋があり、何が入っているのだろう?と開けてみると、その中には私の著書が一冊だけ入っていました。

私が本を出した時、とても喜んでくれて、たくさん買って自分のお友達や知り合いに配ってくれていました。最後に残った一冊だったのかもしれません。

あぁ、親とはなんと有難いことか。涙が溢れました。

「親孝行、したい時には親はなし」とはよくいったものです。

皆さまどうぞ、ご両親さまを大事にされますよう。

そして、穏やかな新年を迎えられますよう。

読者の皆さまへ感謝の気持ちを込めて。

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